[ ちゃんとやります! ]

  • 小林由木のブログ
  • 2016 | 08
    2015 | 04 | 05 | 06 | 07
    2014 | 04 | 06
    2013 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10
    2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 08
    2011 | 10 | 11 | 12
    2010 | 05 | 06 | 09 | 10 | 11 | 12

    芸術家

    kobayashi  2013年10月14日(月曜日) 14:02  
    昨日、「アメリカン・ポップ・アート展」に行ってきた。

    生で見るといろいろと脳を刺激されて良い。

    常々、「絵画の見方」みたいな本を読んだり、こうした展示会などに行ったりして、うすうす思っていたが、今回強く感じたのは「芸術家は究極のルール化する人たち」だということだ。
    一般の人は、芸術には「感性の開放」が必要・一番重要と思っているが、たぶん、芸術家からしてみればそれは最低条件で、もっと言えば彼らからしてみれば「すべての人が感性を開放している」ってな風に思ってるのではないか?

    で、結局、芸術家が何をしているかというと、その「感性」をどう表現するか?ということに腐心していて、ポップアートの旗手なんていう人たちは、その「ルール作り」に創造性のすべてをつぎ込んでいるといっても過言ではない。

    要するに、芸術家というのは、一般の想定に反して「究極の『規定』作りの鬼」で、「規定」をつくるためには理屈が必要だから、とんでもない理屈屋で、その規定の枠に自分の感性をはめ込んでこそ達成感を感じる「究極のマゾ」だな、と。どう見ても「開放されている人」ではない。

    ただ、一般の想定と一致するのは「純粋な人、正直な人」というところではないだろうか? これも(少なくとも名を残す)芸術家の必須条件だろう。

    昨日行った展示会でも、すべての作家が、歴史的なこれまでの芸術を踏まえつつ、「芸術って、創作って何か?」を真摯に突き詰めているのは伝わった。

    ジャスパー・ジョーンズは「オリジナル」ということにこだわった人で、この辺の感覚は私なりにちょっとわかった。

    もう少し正確に言うと「この世にオリジナルなんてものはもうない」ということにこだわった、ということだ。

    この世にすでに存在する「意匠」を使って、いかに作品を創作するか、ということに腐心していたようである。

    そういう意味で言うと、すべてのポップアート作家にそれはいえるのだが。

    「すべての創作家は根源的なオリジナルを求めてはいけない、だってそんなものいくらがんばってももう無理だから」
    という想念は僕にも常にあって、すでに悩んでもいない、作家として当然の状態と思っている。

    すでにあるオリジナルを、どうコラージュするか、が、そもそも現代の創作家の技術なのである。

    アメリカン・ポップ・アートの旗手、ジャスパー・ジョーンズでさえ、言ってるの!

    いや、言ってないけど、そういうことが作品から伝わってくるの!

    わかったでしょ? 僕が浅い考えで「○物くん」とかを持ってきていないことが!
    ね、その、「怪○くん」とか、ちょっと前で言えば、「○棒」とか、「川○浩探検隊」とか、ね!

    もう、不用意に「パクリ」とか言わないこと! 誰に言ってるんだろう…?

    ・・・まあ、最後よくわかんない言い訳になってしまいましたが、いろいろ発見があると思うので、よかったらぜひ「アメリカン・ポップ・アート展」に行ってみてください。

    リンク元  (616)

    映画観てる

    kobayashi  2013年10月06日(日曜日) 23:12  
    とにかく、毎週末たくさん映画が観れる。本も読める。
    時間があるって、素敵だな。

    と思う毎日です。

    というわけで映画もいっぱい観てるのですが、なかなか「他の人にも観てほしい」というのはないですね。
    私は前評判とかあんまり気にせず、簡単な情報収集で自分で選ぶので、はずれも多いんですね。

    最近面白かった一つは
    『エグザム』
    http://www.klockworx.com/movies/movie_96.html
    まあ、よくある1シチュエーション、低予算、謎解きミステリーみたいな。
    この手のタイプで一番有名なのは『キューブ』とかね。
    あんまり残虐じゃなくて、クイズ的なオチもなかなか良かったので、その手の興味ある人は観てみると良いかもしません。

    二つ目は
    『リミットレス』
    http://movie.walkerplus.com/mv48709/
    これはSFサスペンスもので、私の好きなジャンル。
    これ、ちょっとネタばれになってますが、
    こういう話にありがちな、「悪いことしたら結局最後はバチがあたる」といった感じのラストになっていないのが、逆に良かったです。
    痛快。

    映画って、ほんとにいいものですよね。

    って言っていた水野晴郎さんの映画は、駄作だけど、確かに「ゆかい」な映画だったもんね。

    そのとおりだね。

    さようなら。

    リンク元  (615)

    映画観た

    kobayashi  2013年9月14日(土曜日) 11:46  
    昨晩、観た。『唇を閉ざせ』

    ギョーム・カネ監督のフランス映画。
    日本公開していないので、ぜんっぜん知らなかったけど、おもしろかった!

    フランス映画ってもともとロマンチックなので、きちんとしたストーリーと
    サスペンス的な要素とかが加わると、かなり良い作品になるなあ、と。

    サスペンスなので、あんまりあれするとあれだから、このくらいにします。
    一つだけよかったのは、これ、ツタヤの「店員オススメ」で見つけたんです。
    そうでなかったら、借りなかったな。

    全てが機械化される中で、こういうのが、そこに人が介在している意味だなあ、と。嬉しかったです。

    リンク元  (643)

    映画観た

    kobayashi  2013年8月24日(土曜日) 00:19  
    いろいろあって、小説を読んだり、映画を見たり、なるべくたくさんしようとしている。

    今日も2本DVDを見た。
    一つはまあまあ、って感じだったが、もう一本、『世界にひとつのプレイブック』って方は、よかった。

    僕、このジェニファー・ローレンスって好きなんだよね、『ハンガーゲーム』の頃から。

    あと、このデヴィッド・O・ラッセルって監督、『ハッカビーズ』の監督なのね。

    10年くらい前かな? 観て、なかなかよかったんだけど。

    笑いもできるし、泣きもできる、っていう作品を、割と淡々とつづる感じがあって、そこが、この両作品とも好き。

    お勧めなので、ぜひ。



    リンク元  (615)

    悪意を感じる力

    kobayashi  2013年8月05日(月曜日) 21:59  
    私は育ちがいいのか、人がいいのか、悪く言えば鈍感なのか、バカなのか、人を信じすぎるというか、そういうところがある。

    それは、だまされやすい、とかそういうことではなくて(まあ、だまされやすくもあるのだが)、「悪意」を感じる力が弱い、ということだ。

    具体的に言うと、相手が敢えて意地悪で何かを言っているような時に、「本心かどうか、また、本人も自覚しているかどうかは別にして、要は、これは意地悪で言っているだけだな」という風な、勘が働かないのである。

    例えば、わかりやすい例で「おまえ不細工だな」とか言われたとして、それは完全に意地悪で、相手は私を打ち負かしたいだけなのだが、それを「ああ、そういう意見もあるよね、きちんと受け取っておこう」と捉えちゃうのである。

    一見、幸せなことのように思える。実際、大概の場面で幸せである。

    しかし、実はこの「悪意を感じる力」というのは重要で、TPOで使い分けられるなら、あった方がいい。

    というのも、そういうやりかたをする人にとっては、「敢えて意地悪を言う」というのも重要なコミュニケーション法だからだ。

    これは、男尊女卑と受け取られるかもしれないが、特に女性はそういう傾向がある、と思っている。

    何かをわかってほしくて「意地悪」を言う。それを「意地悪だ」と捉えられないとすれば、そもそもコミュニケーションの出発点でかみ合っていないということになる。

    だから、「意地悪を意地悪と受け取る感受性」「悪意を感じる力」は、けっこう重要なのだ。

    まあ、回りくどい言い方はやめて、はっきり言うと、私は女心の機微に疎いのである。

    女性が大好きなのに。

    困ったもんだが、気づいたので改善の余地あり。

    モテ男にまた一歩近づいたのでした。

    一歩近づいたくらいでは、世間のモノサシから言うと、非モテなのですが…。

    リンク元  (620)

    「透明人間」公演を終えて

    kobayashi  2013年7月29日(月曜日) 23:44  
    昨日「透明人間」の公演が終了した。

    観にいらしていただいた皆様には、月並みな言葉しか言えなかったが、それらの言葉では伝えきれないくらいの感謝の気持ちであふれていた。

    改めて、本当にありがとうございました。

    お客様とお話して、いろいろご意見をいただいたが、概ね評判は良かったようだ。

    再度、本当にありがとうございました。

    さて、今回の作品は「感謝」というテーマを軸にしつつも、その土台として「兄弟」「家族」といったものを扱っていた。
    どうも、私は「家族」というのに特別の憧憬というか思い入れというか、そういうのがあるらしい。
    まあ、「らしい」というのは自分でもよくわかっていないからなのだが。

    そうした「家族の間での感謝」みたいなものを、お客様に感じてもらえば、私的には、よかったのだと思う。

    ところで、今回、私自身の「家族」にいろいろあって、私は公演の間中「仲間」に支えられた。

    支えられる中で「仲間」ってなんだろう、と考えもした。

    いろいろあるコミュニティーの中で、それこそ「家族」とか「恋愛関係」とかより、一般的には優先順位が低いように認識されつつも、しかし、絶対に必要なものとしての憧れがあるようにも思う。

    だいたい、仕事の関係者を「仲間」とはあまり言わないのではないだろうか? 「同僚」であり「上司」であり「先輩」であり「後輩」であり「部下」だろう。
    もちろん仕事場にも「仲間」はいるかもしれないが、おそらくあなたがその人を「仲間」と認めいている基準は、会社の基準とは全く違うもののはずだ。
    つまり、たまたまそこが仕事場だっただけで、「仕事」が「仲間」を作っているわけではない。

    そんな風に考えると「Eva」の仲間は、純粋に「仲間」だ。もともと、利害で集まっているわけでもないし、お給料ももらえない。血もつながっていない。
    「お芝居が好き」ということが、ぼんやりと皆をつなげているだけである。

    とにもかくにも、私はこの「仲間」達にいつも救われ、助けられ、良い作品を生み出せている。
    ということは、以前からよく言っているが、本当に今回は、プライベートの危機もだいぶ緩和してくれたので、いつにもまして「仲間の良さ」を感じた1週間だった。

    結局、「仲間とはいったいなんだろう」ということの答えは、まだ出ていない。

    わからないと、ついそれをテーマに作品を書きたくなる。

    次の作品は、もしかしたら、そんな「仲間」を題材にした作品かもしれない。

    もう、次の作品に向かって走り始めていること自体が、今回、観劇いただいたことへの最大の返礼になると思い込んで、感謝の言葉としたい。

    今回はご観劇いただきまして、本当にありがとうございました。

    また、次回も、ぜひ!


    リンク元  (617)

    証明する

    kobayashi  2013年7月19日(金曜日) 23:12  
    やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない。

    書こう、と思っても、普段からネタを貯めているわけでもないから、ブログに適切なネタ、というのが意外と難しい。

    こう見えても、そういうことを考えて書いているわけである。

    特に、このEvaブログは、である。

    完全な個人のモノではないから「どこどこで○○食べておいしかった〜」で終わるのは、あまりふさわしくないと思っているし、
    一応主宰で作家だから、多少、「こいつが脚本書いてるんだよな」と思われてもいい、最低限のレベル、というのも、実は気にしている。

    そうして、いろいろ悩む。コレはあんまりまじめすぎるしな、固いヤツと思われても困るし。かといって、コレはなんか軽すぎるしな。
    じゃあ、コレで。あ、コレあんま興味ないから、書けそうにないわ…とか。

    今回は「公演前だし、とりあえず書かないとな」という動機で書こうと思ってるだけだから、もう、全然最初から何も決まってない。

    でも、書きだす。

    そうすると、この辺くらいまで、書ける。書いた。

    って、やってるうちになんか浮かぶだろうと思っている。まだ、思い浮かばない。

    もう2行くらい書いてみるか。

    えっと…。2行目。思い浮かばない。

    で、ここで、読み返す。

    うわ、ひでえ、なんだこれ!

    耳ほじりたいな〜。

    あ、やばい。現実逃避が始まってる。

    と、こんなノリでここまでは書ける。ブログならではの軽さだ。ブログ、万歳!

    でも、「やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない」でしょ?

    一つの事実を証明したところで、今宵はおしまいにしとうございます。

    ぜひ、観に来てください!(ムリヤリ)

    ※しかも、写真はなんの関係もありません

    リンク元  (617)

    物語は等価に向こう側にある

    kobayashi  2013年7月16日(火曜日) 21:18  
    自分で書いたアホな話で、アホみたいな役で出演して、ただの出たがりのアホの、大食いだと思われていても困るので、いや、困らないのだが、一応主宰なので、困るとして言うけど、実は私は、大学時代ちゃんと演劇の勉強もしていたのである。
    演劇の授業の単位を取ったり、演劇の内容で、卒論とかも書いているのだ! エッヘン!

    卒論は、「竹内銃一郎」という劇作家についての研究論文だった。

    1970年代くらいから活躍し始め、今もほぼ現役の、劇作家・演出家だが、当時、私の一番好きな演劇人であった。

    竹内銃一郎の言葉で、私が一番好きなのは「物語は等価に向こう側にある」という言葉だ。
    「だから、役者は(スタッフも?)物語を自分の方に持ってこようとせずに、物語の方に歩み寄っていかなければならない」という文脈で語られていたと記憶している。

    この「等価に」というのが重要で、私なりの解釈だが「誰にとっても、同じように」という意味だと思う。

    例えば。「おばあちゃんが死んだ」という登場人物を演じることになったとして、「自分もおばあちゃんが死んだ経験があるから、わかるぞ」と思ってはいかん、ということなんだと思っている。

    物語である以上、それは絶対にこの世の原理で測れないもので、「その物語の中での『おばあちゃんが死んだ』という経験」は、決してこの世で経験できるものではない。
    その意味では「おばあちゃんが死んだ」経験のある役者も、そうでない役者も、さして、その物語との距離は大差ない。
    だから、自分の経験と単純比較して、簡単には考えてはいかん、と。

    ありえないものを創りださなければいけないわけである、我々、クリエイターは。

    そういう、強い意志を、この言葉に感じたのである。

    20年近く前。大学時代の話だ。

    それ以来、そういうつもりで、物語創作にあたっている。

    ただ、自己評価なので、定かではない。

    もし、お客様が見て、「ありえない何か」を感じてもらえれば、きっと、それは、そうなっている、ということなのだろう。

    今度の作品も、そう感じていただければ、至福の歓びなのだが。

    リンク元  (611)

    大食いキャラ

    kobayashi  2013年7月13日(土曜日) 11:57  
    芝居とは関係ないが、最近、私の大食いキャラっぷりが浸透してる。

    会社で、毎週1回、福利厚生で弁当が支給されるのだが、誰かが急に休んで、1個余ると、自動的に私にあてがわれる。もちろん、2個分、普通に完食する。

    Evaも皆、付き合いは長いのだが、飲むことの方が多くて、「大食い」というイメージは最近までなかったようなのだが、昨年くらいに、皆で旅行に行ったとき、旅館の飯を5杯も6杯も7杯もおかわりする姿から、大食いキャラが定着した。

    まあ、たまたまそういう姿を見られているということがあるが、「年齢」ということもあるだろう。そんなにびっくりするような量を食べているわけではない。若ければ普通かもしれない。だが、自分が40歳なので、当然周りも若い人間は少ないわけだし、40歳にもなってたくさん食べるというのが、「大食い」感をさらに大きくしていると思う。

    しかも、どうも、うちの爺さんというのも、大食いだったらしい。やはり、40歳を超えて、家で飯を食ってから人に誘われて出かけ、外食で天丼を2杯食ったとか、そういう逸話がいくつかあるようだ。

    若いころは、「自分は食に興味がない」と思い込んでいた。私の若いころは、まだ、バブルのにおいが残っていて、「どこの店の何々がおいしい」とかそういう話題がファッショナブルに行われていて、そういうのにまったく興味がなかったからだ。
    だが興味がなかったのは、私が天邪鬼で、みんなが騒いでいるとそれに乗っかりたくない、というところがあったからのようだ。

    最近は「自分は食べるのが大好きみたいだ」と思っている。

    歳をとってから、結構、自分の本来の趣味嗜好がわかってきたりするらしい。





    リンク元  (618)

    人前に見せられないモノ

    kobayashi  2013年6月29日(土曜日) 15:01  
    少し前に、チラシの写真を撮影した。
    ホームページのネクストステージ、画像にも使われているヤツである。

    最初は、違った企画、構成の写真だった。

    透明人間と透明人間に寄り添う、グラマラスな女性。
    そういう感じの写真のはずだった。

    その女性を、私、小林がやった。

    もちろんギャグで、である。

    30カットくらい撮影した後、画像を確認して、カメラマンの栃木が、

    「想像を超えている(由木ちゃんの顔が)、すごすぎる」と。

    褒められている、と素直に思った。実際、栃木の中にそういう部分もあったろう。

    が、その画像はボツになった。

    ボツになった理由も同じである。「すごすぎるから(人に見せられない)」

    すごいもの、というのは、常に両刃の剣なのである。

    ホームページのトップページの画像にしようとしたが、結局、やっぱりやめた。

    その、一瞬上がった画像を特別に。拡大してみてね。

    いい顔してるなぁ〜 オレ。


    リンク元  (618)
    1 2 (3) 4 5 6 7 8 9 » 
    PopnupBlog V3 Denali created by Bluemoon inc.  
    http://next-action.co.jp/