[ ちゃんとやります! ]

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    悪意を感じる力

    kobayashi  2013年8月05日(月曜日) 21:59  
    私は育ちがいいのか、人がいいのか、悪く言えば鈍感なのか、バカなのか、人を信じすぎるというか、そういうところがある。

    それは、だまされやすい、とかそういうことではなくて(まあ、だまされやすくもあるのだが)、「悪意」を感じる力が弱い、ということだ。

    具体的に言うと、相手が敢えて意地悪で何かを言っているような時に、「本心かどうか、また、本人も自覚しているかどうかは別にして、要は、これは意地悪で言っているだけだな」という風な、勘が働かないのである。

    例えば、わかりやすい例で「おまえ不細工だな」とか言われたとして、それは完全に意地悪で、相手は私を打ち負かしたいだけなのだが、それを「ああ、そういう意見もあるよね、きちんと受け取っておこう」と捉えちゃうのである。

    一見、幸せなことのように思える。実際、大概の場面で幸せである。

    しかし、実はこの「悪意を感じる力」というのは重要で、TPOで使い分けられるなら、あった方がいい。

    というのも、そういうやりかたをする人にとっては、「敢えて意地悪を言う」というのも重要なコミュニケーション法だからだ。

    これは、男尊女卑と受け取られるかもしれないが、特に女性はそういう傾向がある、と思っている。

    何かをわかってほしくて「意地悪」を言う。それを「意地悪だ」と捉えられないとすれば、そもそもコミュニケーションの出発点でかみ合っていないということになる。

    だから、「意地悪を意地悪と受け取る感受性」「悪意を感じる力」は、けっこう重要なのだ。

    まあ、回りくどい言い方はやめて、はっきり言うと、私は女心の機微に疎いのである。

    女性が大好きなのに。

    困ったもんだが、気づいたので改善の余地あり。

    モテ男にまた一歩近づいたのでした。

    一歩近づいたくらいでは、世間のモノサシから言うと、非モテなのですが…。

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    「透明人間」公演を終えて

    kobayashi  2013年7月29日(月曜日) 23:44  
    昨日「透明人間」の公演が終了した。

    観にいらしていただいた皆様には、月並みな言葉しか言えなかったが、それらの言葉では伝えきれないくらいの感謝の気持ちであふれていた。

    改めて、本当にありがとうございました。

    お客様とお話して、いろいろご意見をいただいたが、概ね評判は良かったようだ。

    再度、本当にありがとうございました。

    さて、今回の作品は「感謝」というテーマを軸にしつつも、その土台として「兄弟」「家族」といったものを扱っていた。
    どうも、私は「家族」というのに特別の憧憬というか思い入れというか、そういうのがあるらしい。
    まあ、「らしい」というのは自分でもよくわかっていないからなのだが。

    そうした「家族の間での感謝」みたいなものを、お客様に感じてもらえば、私的には、よかったのだと思う。

    ところで、今回、私自身の「家族」にいろいろあって、私は公演の間中「仲間」に支えられた。

    支えられる中で「仲間」ってなんだろう、と考えもした。

    いろいろあるコミュニティーの中で、それこそ「家族」とか「恋愛関係」とかより、一般的には優先順位が低いように認識されつつも、しかし、絶対に必要なものとしての憧れがあるようにも思う。

    だいたい、仕事の関係者を「仲間」とはあまり言わないのではないだろうか? 「同僚」であり「上司」であり「先輩」であり「後輩」であり「部下」だろう。
    もちろん仕事場にも「仲間」はいるかもしれないが、おそらくあなたがその人を「仲間」と認めいている基準は、会社の基準とは全く違うもののはずだ。
    つまり、たまたまそこが仕事場だっただけで、「仕事」が「仲間」を作っているわけではない。

    そんな風に考えると「Eva」の仲間は、純粋に「仲間」だ。もともと、利害で集まっているわけでもないし、お給料ももらえない。血もつながっていない。
    「お芝居が好き」ということが、ぼんやりと皆をつなげているだけである。

    とにもかくにも、私はこの「仲間」達にいつも救われ、助けられ、良い作品を生み出せている。
    ということは、以前からよく言っているが、本当に今回は、プライベートの危機もだいぶ緩和してくれたので、いつにもまして「仲間の良さ」を感じた1週間だった。

    結局、「仲間とはいったいなんだろう」ということの答えは、まだ出ていない。

    わからないと、ついそれをテーマに作品を書きたくなる。

    次の作品は、もしかしたら、そんな「仲間」を題材にした作品かもしれない。

    もう、次の作品に向かって走り始めていること自体が、今回、観劇いただいたことへの最大の返礼になると思い込んで、感謝の言葉としたい。

    今回はご観劇いただきまして、本当にありがとうございました。

    また、次回も、ぜひ!


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    証明する

    kobayashi  2013年7月19日(金曜日) 23:12  
    やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない。

    書こう、と思っても、普段からネタを貯めているわけでもないから、ブログに適切なネタ、というのが意外と難しい。

    こう見えても、そういうことを考えて書いているわけである。

    特に、このEvaブログは、である。

    完全な個人のモノではないから「どこどこで○○食べておいしかった〜」で終わるのは、あまりふさわしくないと思っているし、
    一応主宰で作家だから、多少、「こいつが脚本書いてるんだよな」と思われてもいい、最低限のレベル、というのも、実は気にしている。

    そうして、いろいろ悩む。コレはあんまりまじめすぎるしな、固いヤツと思われても困るし。かといって、コレはなんか軽すぎるしな。
    じゃあ、コレで。あ、コレあんま興味ないから、書けそうにないわ…とか。

    今回は「公演前だし、とりあえず書かないとな」という動機で書こうと思ってるだけだから、もう、全然最初から何も決まってない。

    でも、書きだす。

    そうすると、この辺くらいまで、書ける。書いた。

    って、やってるうちになんか浮かぶだろうと思っている。まだ、思い浮かばない。

    もう2行くらい書いてみるか。

    えっと…。2行目。思い浮かばない。

    で、ここで、読み返す。

    うわ、ひでえ、なんだこれ!

    耳ほじりたいな〜。

    あ、やばい。現実逃避が始まってる。

    と、こんなノリでここまでは書ける。ブログならではの軽さだ。ブログ、万歳!

    でも、「やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない」でしょ?

    一つの事実を証明したところで、今宵はおしまいにしとうございます。

    ぜひ、観に来てください!(ムリヤリ)

    ※しかも、写真はなんの関係もありません

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    物語は等価に向こう側にある

    kobayashi  2013年7月16日(火曜日) 21:18  
    自分で書いたアホな話で、アホみたいな役で出演して、ただの出たがりのアホの、大食いだと思われていても困るので、いや、困らないのだが、一応主宰なので、困るとして言うけど、実は私は、大学時代ちゃんと演劇の勉強もしていたのである。
    演劇の授業の単位を取ったり、演劇の内容で、卒論とかも書いているのだ! エッヘン!

    卒論は、「竹内銃一郎」という劇作家についての研究論文だった。

    1970年代くらいから活躍し始め、今もほぼ現役の、劇作家・演出家だが、当時、私の一番好きな演劇人であった。

    竹内銃一郎の言葉で、私が一番好きなのは「物語は等価に向こう側にある」という言葉だ。
    「だから、役者は(スタッフも?)物語を自分の方に持ってこようとせずに、物語の方に歩み寄っていかなければならない」という文脈で語られていたと記憶している。

    この「等価に」というのが重要で、私なりの解釈だが「誰にとっても、同じように」という意味だと思う。

    例えば。「おばあちゃんが死んだ」という登場人物を演じることになったとして、「自分もおばあちゃんが死んだ経験があるから、わかるぞ」と思ってはいかん、ということなんだと思っている。

    物語である以上、それは絶対にこの世の原理で測れないもので、「その物語の中での『おばあちゃんが死んだ』という経験」は、決してこの世で経験できるものではない。
    その意味では「おばあちゃんが死んだ」経験のある役者も、そうでない役者も、さして、その物語との距離は大差ない。
    だから、自分の経験と単純比較して、簡単には考えてはいかん、と。

    ありえないものを創りださなければいけないわけである、我々、クリエイターは。

    そういう、強い意志を、この言葉に感じたのである。

    20年近く前。大学時代の話だ。

    それ以来、そういうつもりで、物語創作にあたっている。

    ただ、自己評価なので、定かではない。

    もし、お客様が見て、「ありえない何か」を感じてもらえれば、きっと、それは、そうなっている、ということなのだろう。

    今度の作品も、そう感じていただければ、至福の歓びなのだが。

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    大食いキャラ

    kobayashi  2013年7月13日(土曜日) 11:57  
    芝居とは関係ないが、最近、私の大食いキャラっぷりが浸透してる。

    会社で、毎週1回、福利厚生で弁当が支給されるのだが、誰かが急に休んで、1個余ると、自動的に私にあてがわれる。もちろん、2個分、普通に完食する。

    Evaも皆、付き合いは長いのだが、飲むことの方が多くて、「大食い」というイメージは最近までなかったようなのだが、昨年くらいに、皆で旅行に行ったとき、旅館の飯を5杯も6杯も7杯もおかわりする姿から、大食いキャラが定着した。

    まあ、たまたまそういう姿を見られているということがあるが、「年齢」ということもあるだろう。そんなにびっくりするような量を食べているわけではない。若ければ普通かもしれない。だが、自分が40歳なので、当然周りも若い人間は少ないわけだし、40歳にもなってたくさん食べるというのが、「大食い」感をさらに大きくしていると思う。

    しかも、どうも、うちの爺さんというのも、大食いだったらしい。やはり、40歳を超えて、家で飯を食ってから人に誘われて出かけ、外食で天丼を2杯食ったとか、そういう逸話がいくつかあるようだ。

    若いころは、「自分は食に興味がない」と思い込んでいた。私の若いころは、まだ、バブルのにおいが残っていて、「どこの店の何々がおいしい」とかそういう話題がファッショナブルに行われていて、そういうのにまったく興味がなかったからだ。
    だが興味がなかったのは、私が天邪鬼で、みんなが騒いでいるとそれに乗っかりたくない、というところがあったからのようだ。

    最近は「自分は食べるのが大好きみたいだ」と思っている。

    歳をとってから、結構、自分の本来の趣味嗜好がわかってきたりするらしい。





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    人前に見せられないモノ

    kobayashi  2013年6月29日(土曜日) 15:01  
    少し前に、チラシの写真を撮影した。
    ホームページのネクストステージ、画像にも使われているヤツである。

    最初は、違った企画、構成の写真だった。

    透明人間と透明人間に寄り添う、グラマラスな女性。
    そういう感じの写真のはずだった。

    その女性を、私、小林がやった。

    もちろんギャグで、である。

    30カットくらい撮影した後、画像を確認して、カメラマンの栃木が、

    「想像を超えている(由木ちゃんの顔が)、すごすぎる」と。

    褒められている、と素直に思った。実際、栃木の中にそういう部分もあったろう。

    が、その画像はボツになった。

    ボツになった理由も同じである。「すごすぎるから(人に見せられない)」

    すごいもの、というのは、常に両刃の剣なのである。

    ホームページのトップページの画像にしようとしたが、結局、やっぱりやめた。

    その、一瞬上がった画像を特別に。拡大してみてね。

    いい顔してるなぁ〜 オレ。


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    公演を終えまして

    kobayashi  2012年8月07日(火曜日) 01:12  
    少し日が開いてしまったが、夏公演「美しい世界」を終了しての所感を。

    で、こういう場合は、お客さまや関係者の皆様に公演が成功裏に終わった感謝の意を述べるのが通例である。

    が、最近の私の信条が「全ての周りの方の力でEvaのお芝居ができあがっている、だからいつも感謝」で、もう、すでに当日パンフレットの段階でそうなようなことを書いてしまっていて、で、この後メルマガにもきっとそういう内容の記事を書くことにもなりそうだし、逆に「感謝の安売り」状態になりかねない。

    だから、ブログは割と自由にさせていただいて。

    つってるうちに、夜中になりまして。

    高校球児のように、すでに来年に向けて脚本を執筆し始めようとしている、ということで感謝に変えさせてくださいませ。

    また、改めて。

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    映画 幸せの教室

    kobayashi  2012年5月30日(水曜日) 10:11  
    観にいって来ました。

    日比谷のTOHOシネマズにて。

    この映画、「アーティスト」を観たときの予告編でやっていて「超おもしろそう!」と思い、観に行くことに決めていた。

    トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツという二人の大御所の共演作。
    監督はなんとトム・ハンクス自身。
    予告編を見る限りでは、感動的な作品で観たら泣いちゃったりするのかな、なんて思っていたが、観てみたら、ライトでカジュアルなラブストーリーって感じだった。

    全体に楽しく観られて、おもしろかった。

    が、これといった目新しい発見は感じない、というのも正直な感想。

    ただ一点、この映画に出ているググ・バサ=ローという女優さんに、なんとなく可能性を感じた。

    まだ、あんまり有名な人ではないと思うが、今後この人どんどん出てくるんじゃないかな? 多分そうなる。

    注目しておいてください。

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    常識的な目線で考える2 エンターティナーは修行僧であってはいけない

    kobayashi  2012年5月24日(木曜日) 08:15  
    シリーズ的なヤツの2回目。1を踏まえて書いているところもあるので、興味のある方はこちらを。

    さて、タイトルの通りなのだが、「人に何らかの感動を与えるエンターティナーが、(例えそれが自身のパフォーマンスの完成度についてであっても)自分の悩みで鬱々としてばかりいる」というのが良いことなのか?という話。

    今回も結論から言えば、そういう風に芝居に取り組んでいると見受けられる人の芝居は、まず見に行かない方がいい。
    プロのものでも、素人のものでも。

    これに関しても、一般的には誤解があるように思う。

    「芝居って、なんか演出家が怒鳴ったりして、役者は罵倒に耐えながら『ストイック』に内面を見つめ、芝居つくりをしている」みたいな。

    ここで、常識的に考えて見ましょう。

    今回はたとえ話も不要。もう一度、上記のような状況を具体的にイメージして、冷静に判断してください。

    そんな環境で創っているエンターテインメント作品を、観たいと思いますか?

    社長が毎日社員を罵倒し叱咤している会社から、グーグルのような新しい発想が出てくるとは、思えないのではないか?

    まあ、ジョブスのような例もあるので一概には言えないとは思う。彼のような天才がトップであれば、そのやり方でも成功はあるのだろううが、忘れてはいけないのは、どこの世界も天才なんてそんなにいない、ということだ。

    だから多くの場合はプレイヤーが自由に発想できる組織の方が強い、というのは大枠で異論はないと思う。

    ビジネスでさえそうで、ましてやプレイヤーの発散するエネルギーが、観客に直接に影響を与えるライブエンターテインメントなら、なおさらだ。

    一つ一つの細かい演技や、そのための技術習得(そもそも「演技」の世界に大した技術などないのだが)にばかり拘泥し、悩み、しかも演出家にそのことについて常に罵倒されるので委縮し…
    そんな役者の「パフォーマンス」が、どのくらい「人の心を動かす」ことができるかは、細かく検証する必要もないだろう。

    確かに「芸」というものは「細部に宿る」というのは確かだが、そこばかりに目を向けさせる演出家(マネージャー)は、能力が高いと言えない。

    「顧客満足を上げて、その結果として収益を上げる」ことが命題のプロジェクトマネージャーが、ビジネス構築自体ができていない段階で、細かい書類の書き方にこだわり、その担当社員を不必要に酷使していて、一事が万事従業員に対してそんなことばかりやっていて、組織のモラールは下がるばかり…。

    そういうビジネスが成功すると思えるだろうか、ということである。そして、繰り返しになるが、ゴールは「お客様を感動させること」なのだから。

    「今度芝居やるんで観に来てください」と誰かに言われる。何かの折に「(芝居やっていて)楽しい?」というようなことを聞いてみる。

    ここで、その人が「難しいです」とか「きついです」とか、マイナスな返答を、謙遜とかでなくてマジでするようなら、まず見に行かない方がいい。

    さて、Evaは役者の才能を意味もなくスポイルするような環境を、なるべく排除しようという方針でやってきた。

    指導すべきところはするが、不必要に怒鳴ったりなどは、まずない。

    一番身近なステークホルダーが楽しめないモノを、お客様が楽しめるわけがない、という方針でやっている。


    だから、観に来てください。

    また、いきなりの論理の飛躍で宣伝。

    関わる全員の自由な発想でふくらんで、よりステキな作品になっていってます。

    ぜひ見にいらしてください。

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    常識的な目線で考えよう! ゝ嗚

    kobayashi  2012年5月18日(金曜日) 16:49  
    劇団Evaの中核メンバーは、大概普通の社会人であり、一般常識やビジネスでのモノの考え方を作品創作と興業のノウハウに活用している部分がある。

    その辺を公開しつつ、かつこのブログを読んでいる方が、何かのきっかけで「小劇場お芝居」を観に行く時の判断材料になるような記事を書ければ、少なからず読んでいる方の役には立つのかな、と思ったので、たまにそういう記事を書くことにしました。

    今回は「脚本の遅筆」について。

    結論から言うと、「脚本が上がってないのに練習を始めている」という作品は、まず見に行かない方がいい。

    素人のものでも、プロの作品でもだ。

    例えば、知合いにお芝居をやっている人がいて「今度見に来てくださいよ」と言われる。その人が「練習は始まっているが、脚本はまだ上がっていない」というようなことを、その前後で喋っているのを聞いたら、心の中では行かないことに決める。。

    プロの作品でも、その脚本家についてネットで検索して、「遅筆で有名」(そういう人は必ずそういう解説がある)みたいな記事を読んだら、他によほどの理由(出演しているタレントのファンとか)がない限り、行くのはやめる。

    ちなみに、私が知っている限りで遅筆で有名な作家は、お亡くなりになったが井上ひさし。遅筆で公演を中止にしたこともあるツワモノだった。他には、三谷幸喜もそうだ。一度、三谷脚本、渡部えり(当時えり子)演出の芝居を見に行って、当日パンフのあいさつ文に渡部えりが、延々三谷の遅筆へのマジの恨み節を書いていたのに驚いたことがある。

    さて、話を戻して、そもそも、多くの人は「脚本の遅筆」について認識が緩いのではないか?と思っている。

    「芸術とかってそういうものじゃないの?」と。

    どんなことでもそうだが、そこを敢えて、「どんなの物事も基本は一緒」という常識的な目線で考えてみるとわかると思うので、少し考察してみる。

    芝居の創作の中で、脚本というのはあくまでその設計図に過ぎない。

    脚本があった上で、役者は演技の構築ができ、小道具や衣装の手配が始まり、そうしたものの進捗を見ながら舞台効果も含めた演出を組み立てて…、という風に進んでいく。

    いわば、ビジネスで言えば「事業計画書」もしくは「企画書」にあたる。

    ビジネスの世界ではそれなりのプロジェクトであれば、「予算を出してもらう人が、出す人にプレゼンする」ということがある。
    だから、プロジェクトを始める段階では、そのプレゼン資料としての事業計画書や企画書は絶対にある。

    完成した企画書などがない状態で構築・運用を始めるプロジェクトなどありえないし、一度でも社会人を経験した人ならそんなビジネスに自分が参画したと思わないだろう。

    もう一つ誤解があって、「小説などの文章作品と脚本を混同している」ということがある。

    小説などは、できあがればそれは限りなく完成品に近い。もちろんその後の行程はなんかしらあるだろうが、そこからすべてが始まるというものではない。
    だから、多少ぎりぎりでもいい(ほんとはダメだが)のである。

    私は広告ビジネスの経験が長いので、広告での例えで申し訳ないが、小説が「あるキャンペーンの広告原稿の第一稿」とすれば、脚本は「その広告キャンペーン自体の企画書」といえる。
    脚本の遅筆と小説の遅筆は、プロセスのタイミング的に深刻度がまったく違うのである。

    もちろん、構築の段階で企画内容が変わっていくことはある。芝居の創作でももちろんそうやって練習の中でブラッシュアップしていく部分はある。

    しかし、そういうのは、最初の段階で企画書が最終頁までできあがってない、というのとは全く話が違う。

    いずれにせよ、こうして例えてみると、「脚本が完成していない状態で練習に入っている芝居というのは常識で考えればありえない」ことはわかっていただけたかと思う。

    自慢することではないのだが、我々Evaは旗揚げ公演以来、「脚本が完成していない状態で練習に入った」ことは一度もない。

    お客様にいいものを見せたい、と考えれば当然のことと常識で考えて、業界の悪習に染まることなくそれは守り続けてきた。

    そして、常にクオリティの高いものを求めて創作を続けている。



    だから、観に来てください。

    次回公演情報はメニューバー「NEXT STAGE」から

    最後は急に論理が飛躍して露骨に宣伝、と。

    でも、本当におもしろいものができあがってきています。
    ぜひ、観にいらしてください。

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