[ ちゃんとやります! ]

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    こども

    kobayashi  2012年5月12日(土曜日) 10:30  
    皆様、次回公演情報、見ていただけましたでしょうか?

    今回の脚本は、クレジットにもある通り、二人の作家の合作である。

    最初から企画ありきではなかったが、私が原案のアイデアを栃木に相談する、それを取り入れて書く、栃木にチェックしてもらう、私が修正する、栃木が加筆する…とやっているうちに今までにないものができあがった。

    そんなだったので、何度かPCの前で二人で修正を入れていく、というようなこともあった。

    その際は、私が栃木の超高級マンションに行く。
    栃木の超高級マンションだと作業がはかどるからだ。
    「超高級マンション」…。まあ、それは、いいや。

    さて、栃木には2歳くらいだと思うが、娘がいる。「しい」ちゃん、という。

    前回「ショウジョウ時代」のDMの写真の女の子だ。

    私が何度か訪れた3月頃は、まだ、しいちゃんは「人見知り」であった。ピークは過ぎていたらしいが、それでも、私のようなわけのわからない男に心を開くはずもない。

    あまりこちらからはちょっかいを出さないようにした。それでも、まあ、逃げてママの後ろに隠れたり、泣いちゃったりするのかなあ、などと思っていた。

    しかし、その後、私はしいちゃんの行動に、愕然としたのである。

    泣きもしない、逃げもしない。

    しかし、私を「見ない」のだ。どういうことかというと、私が視界に入ると目をつぶるのである。

    オーバーな動きはないが、これは地味に強烈な拒絶である。

    しいちゃんがちょろちょろ動く。しいちゃんに気を使って、私はじっとしている。自分が動いたからなのに、しいちゃんは私が目に入ると、視界遮断のリスクも顧みず即座に目をつぶる。

    私は40年生きてきて、これほど絶対的に自分の存在を否定されたことはない、と思った。

    そういえば、昔、私はしいちゃんの親父にも、とんでもない存在の拒絶を受けたことがるのだ…。

    あの親にしてこの子あり、だ。

    くそぅ。

    二代にわたって俺を辱めやがって、栃木家め!

    さて、お父さんの方にどんな拒絶をされたかは… 次回配信のメルマガをご覧ください。

    気になる方は、ご登録を → ここから登録
    ら〜らば〜い!

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    稽古場実況2

    kobayashi  2012年5月06日(日曜日) 16:48  
    稽古場実況2回目です。

    なんか、あんまり盛り上がらないので、もうこれでやらないかもしれないですね。

    でも、今日はやります。

    あるシーンの稽古をしていれば、そのシーンに出演していない人は、そのお芝居を観たりしています。

    この写真の人たちは、そんな人たちです。

    でも、カメラを向けると、こうやって、カメラを意識します。

    もっとちゃんと芝居を見てください。困ります。

    あれ、一番左端で、アホヅラで棒をかかげている、天才役者のYさんは、このシーン出演するみたいです。

    まったく、緊張感がありません。困ったものです。

    あ、Yさんが出てきた。

    以外にいい芝居してました。切り替えがうまいタイプです。

    他の人たちには、特に言及することはありません。

    いや、いい役者さんたちなのですが、今は、特に、ね。。。。。

    やっぱり、なんか、盛り上がりませんね、稽古場実況。どうしよう。

    今宵もこの辺にしとうございます。

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    稽古場実況

    kobayashi  2012年5月05日(土曜日) 20:08  
    稽古中です。

    う〜ん、基本的には作品というのは完成品を見せるもの、と思っているので、あんまり稽古の様子をお伝えするのは得意ではないのですが、珍しく頑張って、実況中継。

    シーン15の稽古中。

    彩生さんが変です。

    彩生さんの毛が生えてきた、と栃木が評価。彩生さん、大喜び。

    あ、彩生さんがまた、ステージ(と想定しているところ)に出てきました。

    なんか、シリアスな芝居をしています。でも、毛が生えたと指摘された喜びで、顔が緩んでます。

    でも、今回、彩生さんは今稽古しているシーンでかぶりものをします。

    だから、ムれて毛が抜けてしまうかもしれません。

    それに関するリスク管理もなく、本人喜んでます。

    あ、彩生さん、おもしろい! おもしろい!

    でも、その内容は、ネタバレになるので言えません。

    彩生さん、ほんとにおもしろいなあ〜。

    ……完全に、稽古場実況でなく、彩生さん実況でした。

    そして、この写真には彩生さんは写ってません。

    みなさん、さようなら。

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    あやまる

    kobayashi  2012年5月05日(土曜日) 18:00  
    最近、一時期に比べてブログ更新の頻度が減っている。

    よく、久しぶりにブログを更新すると「久しぶりですみません」的な挨拶から入る人がいる。
    いや、私もそういうことをしていたことがあるので、十分気持ちはわかる。

    が、謝る必要があるのか?と思う。

    そもそも、人はどういう時に謝るのか。

    ざっと考えてみると、一般的には概ね次の2パターンに集約されると思う。

    1 自分が他人の肉体や所有物に不慮の傷害、損傷、それに伴う痛みなどを与えた時
    2 他人が自分に明確に期待している言動を、履行しなかったことが明らかな時

    1 は電車の中で誰かの足を踏んでしまった、とかの場合。
    2 は約束の時間に遅刻した、とかの場合。

    例えば、1で「不慮」ではないパターン、友人同士で殴り合いのケンカになって(つまり、その時はある程度「故意」に相手に痛みを与えて)あとで、謝る、などのケースもあるにはあるが、これはイレギュラーと考えていい。

    そう考えていくと、一般的なものはこの2パターンしかない。

    で、「ブログ」のやつは、どちらに当てはまるのか?

    おそらく、謝る場合の想定としては2なのだろう。

    が、誰かが自分のブログ更新を期待している、というのは「明確」なものだろうか?と思ってしまうのだ。

    例えば、読者が日に1万人以上いるαブログなどのブロガーは、ブログ更新を期待されている、と考えていいのかもしれないが、それさえも明確ではない。
    1万人読者がいたって、1万人が別に「期待」はしていない、という可能性はある。

    具体的に、読者からのコメントに「期待してるんで早く更新してください」というコメントが入る、などのことがない限り「期待している」かどうか明確でないのだから謝る必要はない、と言える。

    いや、自分もやっていたので、あくまで自己批判も込めてだが、こういうのは「一見謙虚に見えて実は傲慢」という、日本人特有の言動のように思う。

    「傲慢」というと言葉が強いが、一種の「慇懃無礼」というか、なんというか…。

    本当にそう思っているなら、更新頻度を下げないように努力すればいいし、表向きは謝りながら「まあ、別に仕事ではないし、素人にそんな毎日とか無理だし」と思ってるなら、謝らなければいい。

    えっと、ちょっとしたことで、熱弁しすぎた気がしてきた。。。

    今宵はこの辺で。

    写真は猫ちゃんが謝ってるみたいな(謝ってるわけではないが)写真

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    映画鑑賞 アーティスト

    kobayashi  2012年5月03日(木曜日) 09:47  
    『アーティスト』を見て来た。

    いや、おもしろかった、おもしろかったんですよ。

    ただ…、どうも私は、あの、フランス映画特有の「いろいろなことにあんまりちゃんとした説明がない」って言うのが気になってしまうんですね…。

    いや、ほんとにステキな映画だったんだけど。

    脚本執筆を始めてから、こういうことが気になるようになったのか、もともとこういう性格だったから、脚本執筆をするようになったのかわからないが、どうも「作品の中で完結してないこと」というのは気になってしまう。

    例えば、ある男がもう人生どうしようもなくなっちゃって自殺するって時に、突然引き出しの中から銃を出したら「え?そんなのあったの?ご都合主義だよ〜」ってなりませんか?百歩譲ってアメリカ映画なら銃社会だから普通にあるのかな、と思わないこともないけど。

    もっと言えば、この「銃」が「不治の病」とかでも同じである。

    「病気なら急になってもおかしくないから、それはありなのでは?」と思うかもしれないが、私はそうではないと思う。

    ある男がもう人生どうしようもなくなっちゃって死のうかなって時にガンであることを宣告される。

    これも、そこまでに何の説明もなくガン告知のシーンがあったら「ご都合主義」である。

    例えば、この男の「かなり不摂生な生活ぶり」などが折に触れて描かれていれば、それでいい。

    「これじゃあ大病になるよ」というような感じで進んでいって「大病でした」となれば、「話を感動的にさせるために無理やりそのファクターを出してきた感」つまり「ご都合主義感」はかなり薄まる、ということだ。

    脚本というのは、結局、こういうのの連続である。

    「え? なんでここでこうなるの?」と、一度思ってしまうと、なんとなくもうその客は注意散漫になってしまうだろう。

    まあ、そういうことです。


    特に「アカデミー賞」という色眼鏡で見てしまうと…、というのもあって、いろいろ書いてしまった。

    でも「アーティスト」は、なんていうのかな、カジュアルでおしゃれな映画で、楽しいですよ。

    見るかどうかは、あなた次第。


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    ノットタイムリー

    kobayashi  2012年4月21日(土曜日) 12:33  
    劇団倉庫は栃木にあります

    お芝居、というのはよく「総合芸術」などと言われる。役者の演技、音楽、証明、舞台装置、それらを活かす演出、といった、すべてにおいてクリエイティブセンスが必要な
    ワークによって成り立っている、といういみだろう。
    「映画とかでも同じじゃない?」という向きもあろうが、実は、映画など映像系の創作物は、例えば役者が素人でも成り立つ場合がある。映画は「編集の魔術」と言われたりもするが、要するに、最終的に編集と技術的付加をしていく監督の意向がかなり強いものだと思う。もちろん総合的なものであると言えるが。

    話がそれたが、我々みたいな劇団でも、お芝居をするには舞台美術が絶対に必要で、舞台装置やら、小道具やら、大道具やらといったものを創作して、使用する。

    で、それを保管している場合もある。

    そのための倉庫や、大道具づくりの作業場というものはどうしても必要で、それが、我々の場合、栃木にある。劇団の人間の実家なのだが、その倉庫や庭の一部を間借りさせてもらっている。

    で、片づけていないと、どんどんものがたまっていく。

    なので、年に1回位、それを片づけるのだが、どうやって片づけちゃうかというと、燃やしちゃうのである。もちろん、その家の敷地内での話だが。

    4月1日に行ってきたのだが、今回は、しばらく片づけていなかったので、特にモノが多く、なかなかに大変な作業であった。

    まず、捨てるべき木材のくぎ抜きをし、それらを含めて捨てるものを焼く場所に持っていき、で、焼く。


    「焼く」というのは、一度火をつければ、あとは見張っていればいいだけでたいしたことはない、と思われるかもしれないが、そうでもない。
    火が全体まで通るように、炎の中に棒を突っ込んでかき回したりするのだが、これが火に近づく緊張感と、熱さと、意外と力がいるのとで、けっこう疲れる。
    だいたい、火のそばで立っているだけで、体力を消耗する。

    要するに、疲れた、と言っています。

    そんなわけで、今回は写真主体で。

    つって、写真いっぱい載せようとしたわけよ。そしたら、そのやり方がわからないわけ。

    で、この記事、確か4月の3日か4日には書いていたんだけど、どうやんのかなーとかやってるうちに、台本の修正とかなんやらで忙しくなってすっかり忘れてたよ!
    今、なんとなく見つけて、アップしてます。

    超ノットタイムリーな話題でした。。。。。

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    H&Mと源義経

    kobayashi  2012年3月25日(日曜日) 14:51  
    先日、たまたま銀座に行く機会があったので、ちょっと散歩をしつつ、H&Mに入ってみた。

    店内はほとんど女性ものだったが、ざっと見てまわった。

    その安さには驚いたが、う〜ん、一言で言うと「アメリカンセレブファッションのパクリの安物」である。
    それを徹頭徹尾、やりきってる感じ。
    貧乏人、元貧乏人の成金にはたまらないコンセプトだろう。

    しかし、まあ、一つのファッションブランドとしては「えげつない」コンセプトだ。

    源義経は、平家との全合戦で奇跡的な勝利を収め、平家を滅亡に追いやった。当時の常識を覆す戦術を数々実行したと言われているが、そのうちの一つに、壇ノ浦の合戦の時に平家水軍の「船の漕ぎ手」や「操舵手」を狙い撃ちした、というのがある。
    軍艦の船員でも、単なる船員であり武士ではないから、当時は「非戦闘員」と見なされていた。だから海戦において、それまでは誰もそうした船員を攻撃しなかった。
    しかし義経は「軍艦の船員なら、そりゃもう戦闘員だろ」という理論で、最初に彼らを片っ端から射殺し、船の運動能力を奪った。
    素晴らしい戦術である。まさにコロンブスの卵。誰でもできることだが、誰もがやらなかったことをやりきることで成功した。

    しかし、「えげつない」。

    つまり、業界の良心やプライドから「そんなことするのはえげつない」と思われてることをやる、というのは一つの成功法則だ、ということだ。

    「えげつない」ところにブルーオーシャンがあるわけだ。極論すれば「QB」や「Face book」もそういえるだろう。

    H&Mもそうだな、と。あそこまでセレブをパクった安物を堂々と販売することは、それまでの業界では意外にやるヤツがいなかったのだ。

    しかし、間違ってはいけないのは、この「えげつない」はあくまで「業界的に」である。一般的に、という話ではない。
    業界で勝手に「えげつない」と思ってることは、一般には受け入れられることもある。
    先ほども書いたように、H&Mの場合は、貧乏人と元貧乏人にはたまらないモノだったわけだ。

    ちなみに、金持ちも節約はしますからね。見た目似たようなもんなら安い方がいい、というお金持ちはたくさんいると思う。
    その意味ではH&Mは、うまいことお金持ち層も取り込んでいるのだろう。

    僕は要らないけど。まあ、所詮ね…。

    と、思ってみたが、しかし、これで着てみて意外と素材がしっかりしてたりしたら、「お、いいな」とか思ってしまうのかもしれない。
    そういう地道な努力もしてるのかもね。

    買ってみないとわからないから、一回、買ってみようかな。



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