[ ちゃんとやります! ]

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    お父さんの話

    kobayashi  2012年2月04日(土曜日) 17:40  
    40歳近くなって「お父さん自慢」みたいな話で恐縮だが、先日、親父が読売新聞朝刊「顔」というコーナーに掲載された。

    過去も何度か新聞に掲載されたことはあるようだが、4大紙(朝日、読売、毎日、日経)のうちの一つは初めてだったようで、「今までの新聞は記者が写真も撮っていったけど、今度はちゃんとカメラマンが来たよ」と驚いていた。
    親父が選ばれた理由がおもしろく、本人曰く「40年かかって1冊の本を仕上げた珍しい人がいる」ということらしい。

    40年といえば、会社に入った人間が定年で退職するまでの年月だ。入社してから退職までずっとかかわるプロジェクトなど、まずない。気の長い話だ。

    親父はそうして40年間、演劇界の研究者であったおかげで、さまざまな特別サービスを受けていることがあったようだ。能・狂言が専門なので、国立能楽堂の鑑賞が顔パスなのは当然として、おそらく、国立劇場の歌舞伎や落語は望めばいつでも顔パスで見れたろうし(本人、そもそも歌舞伎とそういうたかりみたいなのが嫌いのようでほとんどやってないようだが)、芸術祭の審査員だった時代はありとあらゆる劇団から招待状が届いていた。
    自分で努力した対価ともいえるから、親父はそれを活用してもいいだろう。

    世の中にとって最悪、私にとっては最高だったのは、その小林責のバカ息子(私)も、そのサービスの恩恵を、少しだけ受けられちゃったことである。

    たぶん、国立劇場の歌舞伎は、結構いい席で、4、5回、ただで見た。そして、歌舞伎はあんまり好きではないので、それ以外、見たことはない(いろんな意味で最悪の演劇人)。能も何度もタダで見た。何度も見ればその奥深さが見えてくるのが日本の伝統芸能だが、何度見ても未だに好きにならない、意味がワカラナイ(こんな感性の鈍いヤツに高い鑑賞券をただで渡してしまった世間の罪)。親父が芸術祭審査員だったころは、やたらといろんな劇団の招待券が来てたので、親父の代わりに私がタダで見まくり、タダゆえに逆に辛辣な評価をしたりした(親の権力を行使していい思いをしているだけなのに、自分がいっぱしの人間だと勘違いする典型)。

    でも、まあ、こうしたことが肥やしになって、現在の演劇人としての活動にいかされているので、いろいろ勘弁しもらいたい。

    いや、少なくとも、Evaの作品で「おもしろかった」と思う人が、一人でもいれば、私のそうした経験が活きてるんだ、ということで勘弁してもらえると思っている。

    まあ、話はそれたが、40年かかって本を編纂するというのは、大変な粘り強さだ。

    親父のことではあるが、一人間として、素直に「大したもんだ」(相変わらず上から目線)と、労をねぎらいたいと思う。

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    役者に必要な説得力

    kobayashi  2012年1月29日(日曜日) 00:19  
    ウチの作家・演出家の一人である栃木と、私が執筆する次回公演の脚本の内容についていろいろと話していた。
    栃木はとにかく、べらぼうに映画を見ている。読書量もずいぶんだと思うが、映画はとにかく見ている。驚くのはその幅の広さだ。
    よく「映画を見ている」などというと、ヌーベルバーグだとかなんだとか、難しそうなツウ好みのをよく見ている、という意味に思われがちだ。実際、巷で「俺は映画を見ている」というヤツはたぶんそういうヤツだし、そういうやつに限ってハリウッド映画や普通の邦画などはバカにして見ていない、ということが多い。
    でも、それでは「よく(たくさん)見ている」とは言えないだろう、と私などは思ってしまう。そりゃ、かっこつけているだけだろう、と。

    しかし、栃木はちがう。本当に「よく(たくさん)」見ている。当然先述したような難しいのも見ているし、「え?そんなのも見たの?」みたいなショボイ邦画なども、ほぼ見ている。確認したことはないが、あれはたぶん『寅さん』や『釣りバカ日誌』も全部見ていると睨んでいる。
    まあ、とにかくそんな感じだから、少なくとも映画のことなら彼に訊くのが一番よろしい、と思っている。

    で、次回作をどうしようか、などという話をしていて、こんなの参考になるんじゃないの、と教えてくれた映画を3本見ることにしたのだが、それがたまたま、すべて堤真一が主演だった。

    堤真一の映像作品というのは、意識して観たことがなかった。

    中々いい役者さんだな、と思った。

    その基準は「いそう」感である。

    「いそう」感とは私が勝手にそう読んでいるもので、「位相」とか「異相」とか、そんな難しい話ではなく、「ああ、こういう人いそう」の「いそう」感だ。

    これは「リアリティ」という意味ではない。

    役者というのは、映像であれ芝居であれ、本来、この地上に存在しない人を演じる。どんなにリアルな設定の物語でも、根本は創作である。そしてその創作による非日常性が大きければ大きいほど、物語全体としてはおもしろいはずである。

    その意味では、物語は絶対にリアルであってはいけない。

    一方で役者は常に観客と直接に接するポジションであり、作品を成功に導くためには、ある程度自分のキャラクターに「共感」してもらう必要がある。

    そうすると、観客が受け入れられる程度の日常性を持ってキャラクターの外面を作る、という作業はどうしても必要になる。

    でも、ただのリアルなキャラクターになってしまったら、物語の非日常性という面白味が失われる。

    つまり、役者にとって重要な作業の一つは、この「ありえない物語上のありえないキャラクターを、見る人間が共感できる程度にまでは、ありえるもののように装丁する」という技術なのだ。

    しかし、一般の人はもとより、役者を志す人でも「キャラクターはリアルであればあるほどいい」と思っている人がいるが、これは完全に勘違いである。
    役者が作るキャラクターは「リアルではダメ」なのだ。
    なぜなら、同じ話になるが、物語そのものはどう転んでも創作、フィクションだからである。そこに存在するキャラクターだけが極端にリアルであれば、絶対に物語との齟齬が生じる。

    この作業を成功させる肝は、リアルなものの観察力とコピー力ではない。役者としての想像力である。これが結構忘れられがちである。

    この作業を的確にこなし、「いそう」感を観客に与える力が、役者の「説得力」だと思う。

    堤真一は、キチンとそういう能力はあるなと。

    エラそうですが、そんなことを思ったのでした。

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    映画鑑賞3 さる 

    kobayashi  2012年1月19日(木曜日) 02:02  
    このブログ上で「キチンと発表する」的なことを書きつつ、完全に自分でも忘れてスルーしていたことがあった。

    ので、きちんと発表します。

    Eva次回公演が今年の7月といういことに決定いたしました!

    まあ、もちろん詳細の発表は、それなりのページやそれなりのあれをあれした上でやりますが、今回はいろいろと意欲的な取り組みがありますので、ご期待を。

    そんだけかよ、と。そうですよ。

    細かいこと言っちゃうとさ、あれだから…。

    で、全然違う話を始めます。

    最近、いろいろと映画を見るようにはしている。いいお芝居を書くのに必要なことだし、映画鑑賞自体好きだからである。

    見たものの一部の所感などについては、過去の記事でも書いたが、実はこれらはすべてDVDで鑑賞したものだ。
    ちゃんと劇場上映で見たものは、一番最近では「猿の惑星 -創世記(ジェネシス)-」である。


    上映時期は正月映画前のタイミングだったと思う。前にちょっと映画絡みの仕事をしていたから、この時期に配給会社は大作を当ててこないということを知っていたが、諸所の事情でその時期に映画を見に行きたくて、比較的評判も悪くなかったので、この映画にした。

    まあ、最終的には、サル山の猿どもが人間並みの知恵をつけて、街で暴れまわる、というだけの話であるが、前回記事でも指摘したとおり、ハリウッドのつくりのうまさに感服する一作だ。

    中でもひとつ、印象に残ったシーンがあった。

    主人公の猿が、利口になったサル山の猿どもを完全に配下に敷き、これから自由を求めて街に突撃していくくだり。
    その軍団が初めて人間の目に触れるシーン。

    普通に考えれば、暴徒と化した猿どもが道路を疾走し、それを見た人間が慌てふためき逃げ惑う…。
    もしくは、道路を大行進する猿の姿を、恐れおののきながら見つめる人間…。

    みたいな感じが妥当な表現だろう。
    もちろん、後半はそうなっていくのだが、最初に人間がそれを見るシーンは、なかなか情緒あふれる映像になっている。

    街路樹を活用しているのである。

    街路樹の上の方の枝を飛び渡っていく猿たち。季節は秋で、街路樹の葉が猿の駆け抜けたところから、その振動で落ち葉になって落ちていく。人間は街路樹の上の方を動物らしきものが疾駆している様子を見るが、なんだかわからない。そんな人間たちの上に、落ち葉がはらはらと落ちていくのである。
    荒々しい暴徒の疾走の表現であるのに、この後の猿たちの物寂しい運命の一端を物語っているようでもあり、象徴的だ。

    ストーリークリエイターには、こういうセンス、というのが必要だよな、と思ったワンシーン。

    ちなみに、今日もラーメン食った後、目黒シネマ二本立てで、この映画もう一回見ちゃった。

    さる大好き!

    二本立てのもう一本は「ミッション:8ミニッツ」
    それとラーメンの話はまた今度。

    それでは、次回公演7月! ぜひよろしくお願いいたします。

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    映画鑑賞2 デヴィッド・リンチ作品

    kobayashi  2012年1月09日(月曜日) 01:14  
    インランド・エンパイア という映画を見た。デヴィッド・リンチ監督作品で、「2007年度全米批評家協会賞 実験的映画賞受賞」作品である。



    あらすじを読んで、脚本執筆のインスピレーションを得られるかと思い、レンタルしたが、いやはや、すごすぎた。

    なんのことやらさっぱりわからなかった。ここに、あらすじを紹介することもできない。「すじ」がないのである。

    いくつかのファクターが積み重なり、それらを伏線として話を構築しているように見えたのも40分くらいまで。そのあとは、全部そのままである。しかも、全上映時間3時間! 2時間40分はやりっぱなし映像のオンパレードだ。
    一種のトリップ映像と思って見ていたが…。

    デヴィッド・リンチでなければ配給自体困難だったのではないか、と思っちゃうような。

    ただ、酷評する気もしない。ワカラナイのである、良いのか、悪いのかも。

    だから、この記事でも「この作品はこうこうこうで、これがすごかった」などと論ずることができない。そんなくらいだから、創作技術として特に得るものもなかった。

    但し、一つだけ、教訓を得た。

    創作者は自由でいいのだ、ということだ。

    その自由が許容されるのかされないのか、はその人のそれまでの実績によるだろう。しかし、実績のない人間は自由にやってはいけないわけでもない。

    創作で最も障害になるのは、規制である。「あれはダメ、これはダメ」というヤツ。一時期よく「『瞎(めくら)』は『目の不自由な人』と言い換えてください」みたいなのがあったが、あれがわかりやすい例だ。
    それをきっかけに筒井康孝は、一時期断筆した。創作者としては正しい反応といえる。とにかく、この辺がわかりやす「創作に対する規制」。

    で、もう少し考えを進めると「こうした方がいい」というのも、一種の規制である。「物語は『起承転結』となっているのがいい」これは一つの手法であり、作品をよりよく見せるための、創作の技術として取り入れるのはもちろん必要だ。
    しかし「『起承転結』でなければならない」と思ったら、その瞬間から規制になってしまうのである。

    過去作品の成功に縛られ、ついつい似たような作品を作ってしまう、というのも規制だろうし、お客様によい心象を持ってもらおうと、とりあえずギャグをちりばめる、なんてのも規制かもしれない。

    第3者に見せる作品である以上、すべて必要な技術ではある。しかし、縛られるセオリーであってはいけない。

    崇高な着想でないにしても、「こういうものを創りたい」と想いついた、その根源的な発想に忠実である限りは、作品はいくらでも自由に展開してよいのだ。創作者は巧みである以前に、自由な存在でなければならない。



    あれ? 「ねばならない」 規制になっちゃった。。。。


    そんなことを感じたのでした。

    でも、「インランド・エンパイア」は見ない方がいいですよ。とにかく、よくわかんないから。


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    映画鑑賞 

    kobayashi  2012年1月05日(木曜日) 01:20  
    この年末から年始にかけてDVDで映画を何本か見た。

    次のEvaのお芝居、脚本執筆の参考にということで見たのがほとんどであるが、妻が見たくて借りてきたものも何本かあり、それもとりあえず一緒に見た。

    そのうちの一つが「ソーシャルネットワーク」という映画。

    観終わって思ったのは「なんだかんだ言って、ハリウッドはすごい」ということ。

    どういうことかをご説明します。

    そもそも、この「ソーシャルネットワーク」なんて、話の筋はくそつまらない実話である。
    ネットで一攫千金してモテようと思ってる、クソ性格の悪いオタクが、新しいSNSサービスを立ち上げるときに、人のアイデアを盗んだり、今まで尽くしてくれた親友をないがしろにしたりした結果、成金になったがいろんな人に訴えられて、それでもクソ悪い性格は治らず、高慢ちきな様子で民事裁判して、最後はそれでも一人でパソコンいじってる、と。こんな話だ。
    こうやって書いても、全然面白くないでしょ?

    しかし、これを1時間21分、見させちゃうのである。

    これは完全に技術である。

    どうも読書感想文教育の影響で、日本人は「おもしろい作品(目が離せない作品)」=「テーマが濃い作品」と思ってしまう傾向があるが、そうでない場合も多い。
    同じように、芸能作品は「魂」とか「熱意」とかで評価されがちな面も大きい。

    しかし、今回やはり、まずは「技術」こそが命だ、と痛感した。

    とにかくクソおもしろくもない話を、モンタージュ、編集の妙、フレーム内のエヅラの的確さ、不意に入るインサートカット、それらから生み出されたテンポなどにより、話自体が興味をひかせる展開になっているように感じさせている。

    しかし、何度も言うが、成金どもの友情や社交が壊れていくというだけの胸糞悪い話だ。

    それが目が離せない。

    正直、1時間21分の間、私は「おもしろい」と思ってたのかさえはっきりしない。とにかく「目が離せなかった」だけだ。

    話がつまらない、としつこく書いているが、ほんとに否定するつもりはない。その対比で「技術」のすごさを訴えたいのだ。

    デビット・フィンチャーという、この映画の監督がすごいだけかもしれない。しかし、この映画の何がすごいのかといえば、先ほど書いた「編集」とか「的確なエヅラ」とかそういう、映画的には「いろはの「い」」という要素だ。特に奇抜なことをやっているわけではない。
    そういう部分で、ある特定の人物が卓越したものを発揮をするとは考えにくいし、結局、その辺の要素は、スタッフが実力を発揮する部分だ。

    ハリウッド、という一つの会社のようなものに、人材も含めて、そうした技術的な優位性が集結している、と考えるのが妥当だろう。

    なんにせよ、まったく同じ脚本をもとにしたとしても、「火曜サスペンス」のスタッフが制作したら、10分と見ていられないものにしかならないだろう、ということ。

    どの業界でも、巨大な資本のもとに、最新の情報も、優秀な人材も集まってくる。芸能はアート的な要素も持つから、「金に物を言わせて」というのが良くない部分もあるが、しかし、結局はそこに金が集まるという事実には裏付けもあるのだ。

    よく、映画制作を目指す人は、ハリウッドより昔の日本映画とかフランス映画とか見るようだが、よくわからないくせにそんなの2、3本見るなら、普通のハリウッド映画100本見た方が、おそらく勉強になるのではないか? 最新技術と最新の方法論の集結なのだから。


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    新年! 賀正! あけましておめでとうございます

    kobayashi  2012年1月04日(水曜日) 01:31  
    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。

    さて、昨年はいい一年だった、ということで締めくくったが、今年も新年早々のかなりいい出来事あり。滑り出し、好調と。

    というのも、40年来「おせち料理がうまい!」と思ったことは無かったのだが、今年はそう思えた!

    まあ、理由があってそうなっているのだが。

    理由の一つは、私自体が歳をとって、徐々に食べ物の趣向が変わってきていること。やはり、若い頃は特にうまいとは思わなかった、例えば「かまぼこ」とか「佃煮」とかがが、うまいと思えるようになった。一方で、確かに油ギトギトのラーメン(次郎系)とかは好んで食さなくはなったが、しかし食べれなくなったわけではない。
    「好んで」食さなくなった、というだけで、食えといわれればいつでも食えるし、食えば「うまい」と思うわけ。そう考えると、「歳をとる」ということは「美味しいと思えるものが増える」ということなんだなあ、と感じられ、これまたラッキーの実感。
    で、もう一つの理由は、今年のおせちがほんとに美味しいものだったということ。ショップチャンネルの取り寄せなのだが、一品一品がその名産店舗から取り寄せていて、うまい! 「昆布巻き」をこんなにうまいと思ったのは人生で初めて。いやあ、ほんとにうまかった。

    皆様も来年はぜひ!

    あ、ついでな感じで申し訳ございませんが・・・ あ、やっぱりついでな感じだと失礼になるので、今度改めてご報告します!

    とにかく今年もよろしくお願いいたします。

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    今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします

    kobayashi  2011年12月31日(土曜日) 20:20  
    今年一年お疲れ様でした、にゃんぱ〜い!

    と、いうことで、大晦日です。

    今年はいろいろありましたが、何より私が今年良かったのは

    「もともと私はラッキーな人だったのだ」

    ということに気が付いた、思い出せたこと。

    今年は本当に自分の力だけではないことで、「ああ、よかった」と思えることが多かった。

    そういう人が周りにいる、ということが、本当にラッキーであり、自分が生まれつき持っているラッキーな星なのだ。

    と、思えたこと自体が、今年のラッキーでした。

    今後もそれを忘れないでいられそうです。

    ということで、良い年が過ぎ、また良い年がやってきます。

    今年もお世話になりました。

    来年もよろしくお願いいたします。

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    ラーメン 3年2ヶ月

    kobayashi  2011年12月26日(月曜日) 14:37  
    大勝軒目黒店に行ってきた

    おいしかった。終わりである。お店とメニューの感想は。

    でも、いくらでも話題というのは引っぱれるので、終わりにはしないのだが、大勝軒というのは、確か池袋が発生で、今はずいぶんとのれん分けしている。

    間違いないよな? 確認。

    つけ麺と言えば「大勝軒」というイメージもある。つけ麺好きの妻と私は勇んで店へ向かった。

    で、当然のようにつけ麺を食べた。大勝軒では「もりそば」というんだけど。とにかく私は普通のもりそば、妻は味噌もりそばを注文し、食した。
    が、私たちが座っていた席の右隣も左隣も「あぶらそば」を注文し、食していた。う〜ん、うまそうだ。。。
    もちろん、自分たちの食べたものも十分おいしかったのだが、あぶらそばが気になってしまう。

    店を出てから、妻と「次は『あぶらそば』を食べよう!」と次回に思いをはせながら、大鳥神社の前を通り過ぎた。

    さて、私と妻は月に一回、ランチにラーメンを食べに行くことに決めいている。だいたい、給料日前あたりの、休日である。
    月に一回というのは、健康上の理由や、イベント感を盛り上げるために決めているのだが、とにかく、月に一回行くわけだ。

    で、先日、二人で散歩がてらに歩いて行ける範囲のラーメン屋をピックアップし、マップを作った(以前の記事参照)

    一覧すると、こんな。

    1、次郎
    2、あいうえお
    3、味噌一
    4、蓮
    5、わ蔵
    6、宗
    7、康竜
    8、春木屋
    9、ぷかぷか
    10、三ツ矢堂製麺
    11、大勝軒 目黒店
    12、俺式
    13、かおたんらーめん ちょろり
    14、勝丸
    15、揚州商人
    16、なおじ
    17、田丸
    18、魂心屋
    19、づゅる麺 池田
    20、東京うどん
    21、麺家 黒
    22、椿華亭
    23、野方ホープ
    24、権之助
    25、源屋
    26、しみる
    27、蒙古タンメン中本
    28、萬馬軒
    29、かけラーメン一番館
    30、九十九ラーメン
    31、香月
    32、瞠 恵比寿店

    ※他店名など不明6店舗


    で、月に一回行くとして、一回の来店では一つのメニューしか頼まないわけで、そのなりで38店舗を回っていくとする。

    2周目も単純に同じ順番で廻っていくとして、同じ店舗で二つ目のメニューを食べるには、1回目の来店の3年2か月になる計算。

    なんと、私たち夫婦が念願の「あぶらそば」を食べれるのは、実に2015年2月まで待たねばならないのだ。

    それは、まずい。大変困る。そもそも、その場で注文したいものを、となりのお兄さんのを味見したいくらいのものを、我慢して店を出たのである。
    2015年までは我慢できない。

    そこで、39店舗を厳選し、せめて1年くらいで廻れるように、12店舗を厳選することにした。

    妻と一緒に、「ここはいいから残す」「あそこはあれだから外す」とか「2番じゃ駄目なんですか?」とか言いながら“仕分け”していくのだろう。

    今年最後の大仕事である。いや、マジで。ヒマとかじゃないから




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    忘年会

    kobayashi  2011年12月23日(金曜日) 09:15  
    言わずと知れた、年末に、今年1年の労をねぎらうことを名目に集まって、余計に疲れたりする、あれ。

    Evaも一応社会的な組織なので、毎年やってます。

    今年も20人ほど集まったが。しかし… 「忘年会」ってなんなんだろう?

    何か、今年一年の思い出を語って、「ああ、あの時は○○だったね」とか「来年はもっと○○できるようにしよう」とか、そういう会話があるわけではない。いや、一切ない。

    昨日の私が関わった話題一覧。

    ・チクリのヒゲの話
    ・Uくんのスーツの話
    ・36万円の五右衛門風呂の話
    ・Aちゃんの悩み
    ・会社の前にいた野良猫の話
    ・Gさんはターミネーターなんだろう、という話
    ・Yが俺のことを死ねばいいと思ってた話
    ・通信回線の今後
    ・Aちゃんが誕生日
    ・島根には人がいない
       ・
       ・
       ・

    う〜ん… これすべて、年末にふさわしい話題なのだろうか?

    なんで、年末の忙しい中集まったんだろう…。

    いやいや、いいのだ、これで。

    よく「「年末」ということを言い訳に酒を飲んでいるだけ」とか言うが、まあ、そういうことなんでしょう。

    でも、「とりあえず酒飲みたいんだけど」と一斉送信メールをしただけで、これだけ人が集まってくれるわけですから、ありがたい。

    「酒」の一文字に、ここまで敏感に動く、機動力のあるメンバー・協力者がこれだけいるので、来年もEvaは、まず、安泰。

    あとは、《 Your day’s + Eva 》の理念通り、新しい価値のある作品を創り続けられれば。

    来年もご期待ください。

    あと、Aちゃんが誕生日だったので、ケーキを出してもらって、みんなでハッピーバースデーを唄ったのでした。



    やっぱ、これ忘年会じゃなくて、誕生会じゃん。

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    創作と批評の話

    kobayashi  2011年12月19日(月曜日) 01:51  
    演劇の世界では批評と創作は同じ人がやることが多いが、全く脳の使い方が違う作業なので、結果的に「有限不実行のこいつはダメなやつだ」という誤解が生まれる、という話を書いた。

    で、まあそれはそれとして、なぜ、そんなことが起こるのか?

    一言で言えば、マニアの世界だから、と言える。

    マニアの世界は批評がつきものなのに、マニアの世界だから人材が少ない上に、お金もないからだ。

    そもそも「マニア」かそうでないかの差は「批評するかしないか」の差と言ってもいい。
    ただ、『ワンピース』を「おもしろい」とかいって読んでいるだけなら、それはただの鑑賞者だが「あの時の、あのセリフが、カクカクシカジカという理由で、他の漫画と違ってイイ!」と言い出したらマニアの世界に片足を突っ込んでいる。
    要するに何かの作品に対して、何らかの理由を持って「良い」「悪い」の判断をし、それを人に発表し出したら、それは批評でありマニアの始まり、ということだ。

    「マニア」には「批評」はつきものなのである。

    一方で、マニアの世界は、だいたいお金がなく、人材も少ない。
    この二つはどちらが先ともいえず、鶏と卵みたいな問題だが、やはり金の無い業界というのは、「その世界一本で一生やっていこう」と思う人が少ないわけだから、人材は減る。
    で、人材が少なければ、業界が活性化しないので、お金は回ってこない、という悪循環がある。
    いつまでも、お金も人材も少ないので、創作者と批評家のプロ専業分化ができない。

    また、演劇的な業界に限れば、そもそも創作者などのプレイヤーに寿命がない、ということもあると思う。

    野球などスポーツなどの世界などは、解説者は大体、OBの仕事と決まっている。スポーツ自体がプレイヤーとしての寿命があるので、そうした住み分けができ、業界全体でプロ仕事のサイクルができる。そうなっていれば(そして、プレイヤーとしてのサラリーで十分儲かっていれば)、何も好き好んで、現役プレイヤーが他のプレイヤーを評価するような真似をする必要はないわけである。

    また、業界にお金がない、ということに起因するが、マニア業界は、その中の一流クリエイターでも、創作だけではたいして儲からない、という事情もある。

    演劇などは露骨で、おそらく先述した「せりふの時代」の常連作家でも、完全に演劇の興行だけ、で人並み以上に儲けているのはごく一部ではないだろうか?
    おそらく、マニア誌への批評、評論寄稿は彼らの重要な食い扶持なのである。そう簡単にやめるわけにはいかない。

    そうやって考えると、野田秀樹とか超一流プレーヤーはあまりこの手の演劇雑誌などに顔を出していない。
    大体、常連は興行だけではそこまで儲かっていなさそうな(ふつう程度には食えていると思うが)顔ぶれが多い。
    やはり、十分儲かっていれば、創作者の立場で他者を批評するというのは、あまり好んですることではない証明ではないか?
    という気がしないでもない。

    まあ、ほとんど演劇界での例になったが、おそらく、どこのマニア業界もこんな感じだろう。

    一般の業界より批評や論評の数が要求されるのに、人材も、金もないので、プロの批評家が育たず、しかも批評は創作者にとってのいい食い扶持になっている。
    こんな感じで、いつまでも、創作者=プレイヤーが現役ながらに他者を批評し続けることになる。

    批判したいわけではないのだ。そういうものだ、ということをネチネチ書いただけである。

    ただ、他者を批評する創作者は、それなりの覚悟は必要だと思う。批評した内容を作品に統合する覚悟ではない。
    作品を発表した時に、批評も読んでくれている「ファン」から「いつも言ってることと作品の内容が統合されてない」という、トンチンカンなそしりを受ける覚悟である。

    その時に「何言ってんすか、創作と批評はまったく違う作業で、統合なんてできっこないんですよ」などとつっけんどんに言わずに、「なるほど、確かにそうですね。
    ご期待を裏切ってしまったことは申し訳ない…。でも、おもしろかったでしょ?」とにこにこしながら言えるくらいの強さを持つ、覚悟である。

    それがあれば、創作しながら他者を批評しても、一向に構わないと思う。

    ちなみに、写真はもはや演劇界重鎮の劇作家「平田オリザ」氏。内閣官房参与とかもやったり、一時期テレビのコメンテータなんかもやってたけど、こんなおっさん知らないでしょ?
    よしんば見たことはある、って人でも、劇作家だって知らなかったでしょ? これが重鎮だ。マニアの世界はそんなものなのだ。

    ちなみにウチの奥さんは、「平田オリザはレズのおばさんだ」と言って聞かない。これ(この顔)がおばさんでなくて何なのか、と。

    確かに、そう見えるから不思議。


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