[ ちゃんとやります! ]

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    映画 幸せの教室

    kobayashi  2012年5月30日(水曜日) 10:11  
    観にいって来ました。

    日比谷のTOHOシネマズにて。

    この映画、「アーティスト」を観たときの予告編でやっていて「超おもしろそう!」と思い、観に行くことに決めていた。

    トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツという二人の大御所の共演作。
    監督はなんとトム・ハンクス自身。
    予告編を見る限りでは、感動的な作品で観たら泣いちゃったりするのかな、なんて思っていたが、観てみたら、ライトでカジュアルなラブストーリーって感じだった。

    全体に楽しく観られて、おもしろかった。

    が、これといった目新しい発見は感じない、というのも正直な感想。

    ただ一点、この映画に出ているググ・バサ=ローという女優さんに、なんとなく可能性を感じた。

    まだ、あんまり有名な人ではないと思うが、今後この人どんどん出てくるんじゃないかな? 多分そうなる。

    注目しておいてください。

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    常識的な目線で考える2 エンターティナーは修行僧であってはいけない

    kobayashi  2012年5月24日(木曜日) 08:15  
    シリーズ的なヤツの2回目。1を踏まえて書いているところもあるので、興味のある方はこちらを。

    さて、タイトルの通りなのだが、「人に何らかの感動を与えるエンターティナーが、(例えそれが自身のパフォーマンスの完成度についてであっても)自分の悩みで鬱々としてばかりいる」というのが良いことなのか?という話。

    今回も結論から言えば、そういう風に芝居に取り組んでいると見受けられる人の芝居は、まず見に行かない方がいい。
    プロのものでも、素人のものでも。

    これに関しても、一般的には誤解があるように思う。

    「芝居って、なんか演出家が怒鳴ったりして、役者は罵倒に耐えながら『ストイック』に内面を見つめ、芝居つくりをしている」みたいな。

    ここで、常識的に考えて見ましょう。

    今回はたとえ話も不要。もう一度、上記のような状況を具体的にイメージして、冷静に判断してください。

    そんな環境で創っているエンターテインメント作品を、観たいと思いますか?

    社長が毎日社員を罵倒し叱咤している会社から、グーグルのような新しい発想が出てくるとは、思えないのではないか?

    まあ、ジョブスのような例もあるので一概には言えないとは思う。彼のような天才がトップであれば、そのやり方でも成功はあるのだろううが、忘れてはいけないのは、どこの世界も天才なんてそんなにいない、ということだ。

    だから多くの場合はプレイヤーが自由に発想できる組織の方が強い、というのは大枠で異論はないと思う。

    ビジネスでさえそうで、ましてやプレイヤーの発散するエネルギーが、観客に直接に影響を与えるライブエンターテインメントなら、なおさらだ。

    一つ一つの細かい演技や、そのための技術習得(そもそも「演技」の世界に大した技術などないのだが)にばかり拘泥し、悩み、しかも演出家にそのことについて常に罵倒されるので委縮し…
    そんな役者の「パフォーマンス」が、どのくらい「人の心を動かす」ことができるかは、細かく検証する必要もないだろう。

    確かに「芸」というものは「細部に宿る」というのは確かだが、そこばかりに目を向けさせる演出家(マネージャー)は、能力が高いと言えない。

    「顧客満足を上げて、その結果として収益を上げる」ことが命題のプロジェクトマネージャーが、ビジネス構築自体ができていない段階で、細かい書類の書き方にこだわり、その担当社員を不必要に酷使していて、一事が万事従業員に対してそんなことばかりやっていて、組織のモラールは下がるばかり…。

    そういうビジネスが成功すると思えるだろうか、ということである。そして、繰り返しになるが、ゴールは「お客様を感動させること」なのだから。

    「今度芝居やるんで観に来てください」と誰かに言われる。何かの折に「(芝居やっていて)楽しい?」というようなことを聞いてみる。

    ここで、その人が「難しいです」とか「きついです」とか、マイナスな返答を、謙遜とかでなくてマジでするようなら、まず見に行かない方がいい。

    さて、Evaは役者の才能を意味もなくスポイルするような環境を、なるべく排除しようという方針でやってきた。

    指導すべきところはするが、不必要に怒鳴ったりなどは、まずない。

    一番身近なステークホルダーが楽しめないモノを、お客様が楽しめるわけがない、という方針でやっている。


    だから、観に来てください。

    また、いきなりの論理の飛躍で宣伝。

    関わる全員の自由な発想でふくらんで、よりステキな作品になっていってます。

    ぜひ見にいらしてください。

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    常識的な目線で考えよう! ゝ嗚

    kobayashi  2012年5月18日(金曜日) 16:49  
    劇団Evaの中核メンバーは、大概普通の社会人であり、一般常識やビジネスでのモノの考え方を作品創作と興業のノウハウに活用している部分がある。

    その辺を公開しつつ、かつこのブログを読んでいる方が、何かのきっかけで「小劇場お芝居」を観に行く時の判断材料になるような記事を書ければ、少なからず読んでいる方の役には立つのかな、と思ったので、たまにそういう記事を書くことにしました。

    今回は「脚本の遅筆」について。

    結論から言うと、「脚本が上がってないのに練習を始めている」という作品は、まず見に行かない方がいい。

    素人のものでも、プロの作品でもだ。

    例えば、知合いにお芝居をやっている人がいて「今度見に来てくださいよ」と言われる。その人が「練習は始まっているが、脚本はまだ上がっていない」というようなことを、その前後で喋っているのを聞いたら、心の中では行かないことに決める。。

    プロの作品でも、その脚本家についてネットで検索して、「遅筆で有名」(そういう人は必ずそういう解説がある)みたいな記事を読んだら、他によほどの理由(出演しているタレントのファンとか)がない限り、行くのはやめる。

    ちなみに、私が知っている限りで遅筆で有名な作家は、お亡くなりになったが井上ひさし。遅筆で公演を中止にしたこともあるツワモノだった。他には、三谷幸喜もそうだ。一度、三谷脚本、渡部えり(当時えり子)演出の芝居を見に行って、当日パンフのあいさつ文に渡部えりが、延々三谷の遅筆へのマジの恨み節を書いていたのに驚いたことがある。

    さて、話を戻して、そもそも、多くの人は「脚本の遅筆」について認識が緩いのではないか?と思っている。

    「芸術とかってそういうものじゃないの?」と。

    どんなことでもそうだが、そこを敢えて、「どんなの物事も基本は一緒」という常識的な目線で考えてみるとわかると思うので、少し考察してみる。

    芝居の創作の中で、脚本というのはあくまでその設計図に過ぎない。

    脚本があった上で、役者は演技の構築ができ、小道具や衣装の手配が始まり、そうしたものの進捗を見ながら舞台効果も含めた演出を組み立てて…、という風に進んでいく。

    いわば、ビジネスで言えば「事業計画書」もしくは「企画書」にあたる。

    ビジネスの世界ではそれなりのプロジェクトであれば、「予算を出してもらう人が、出す人にプレゼンする」ということがある。
    だから、プロジェクトを始める段階では、そのプレゼン資料としての事業計画書や企画書は絶対にある。

    完成した企画書などがない状態で構築・運用を始めるプロジェクトなどありえないし、一度でも社会人を経験した人ならそんなビジネスに自分が参画したと思わないだろう。

    もう一つ誤解があって、「小説などの文章作品と脚本を混同している」ということがある。

    小説などは、できあがればそれは限りなく完成品に近い。もちろんその後の行程はなんかしらあるだろうが、そこからすべてが始まるというものではない。
    だから、多少ぎりぎりでもいい(ほんとはダメだが)のである。

    私は広告ビジネスの経験が長いので、広告での例えで申し訳ないが、小説が「あるキャンペーンの広告原稿の第一稿」とすれば、脚本は「その広告キャンペーン自体の企画書」といえる。
    脚本の遅筆と小説の遅筆は、プロセスのタイミング的に深刻度がまったく違うのである。

    もちろん、構築の段階で企画内容が変わっていくことはある。芝居の創作でももちろんそうやって練習の中でブラッシュアップしていく部分はある。

    しかし、そういうのは、最初の段階で企画書が最終頁までできあがってない、というのとは全く話が違う。

    いずれにせよ、こうして例えてみると、「脚本が完成していない状態で練習に入っている芝居というのは常識で考えればありえない」ことはわかっていただけたかと思う。

    自慢することではないのだが、我々Evaは旗揚げ公演以来、「脚本が完成していない状態で練習に入った」ことは一度もない。

    お客様にいいものを見せたい、と考えれば当然のことと常識で考えて、業界の悪習に染まることなくそれは守り続けてきた。

    そして、常にクオリティの高いものを求めて創作を続けている。



    だから、観に来てください。

    次回公演情報はメニューバー「NEXT STAGE」から

    最後は急に論理が飛躍して露骨に宣伝、と。

    でも、本当におもしろいものができあがってきています。
    ぜひ、観にいらしてください。

    リンク元  (657)

    こども

    kobayashi  2012年5月12日(土曜日) 10:30  
    皆様、次回公演情報、見ていただけましたでしょうか?

    今回の脚本は、クレジットにもある通り、二人の作家の合作である。

    最初から企画ありきではなかったが、私が原案のアイデアを栃木に相談する、それを取り入れて書く、栃木にチェックしてもらう、私が修正する、栃木が加筆する…とやっているうちに今までにないものができあがった。

    そんなだったので、何度かPCの前で二人で修正を入れていく、というようなこともあった。

    その際は、私が栃木の超高級マンションに行く。
    栃木の超高級マンションだと作業がはかどるからだ。
    「超高級マンション」…。まあ、それは、いいや。

    さて、栃木には2歳くらいだと思うが、娘がいる。「しい」ちゃん、という。

    前回「ショウジョウ時代」のDMの写真の女の子だ。

    私が何度か訪れた3月頃は、まだ、しいちゃんは「人見知り」であった。ピークは過ぎていたらしいが、それでも、私のようなわけのわからない男に心を開くはずもない。

    あまりこちらからはちょっかいを出さないようにした。それでも、まあ、逃げてママの後ろに隠れたり、泣いちゃったりするのかなあ、などと思っていた。

    しかし、その後、私はしいちゃんの行動に、愕然としたのである。

    泣きもしない、逃げもしない。

    しかし、私を「見ない」のだ。どういうことかというと、私が視界に入ると目をつぶるのである。

    オーバーな動きはないが、これは地味に強烈な拒絶である。

    しいちゃんがちょろちょろ動く。しいちゃんに気を使って、私はじっとしている。自分が動いたからなのに、しいちゃんは私が目に入ると、視界遮断のリスクも顧みず即座に目をつぶる。

    私は40年生きてきて、これほど絶対的に自分の存在を否定されたことはない、と思った。

    そういえば、昔、私はしいちゃんの親父にも、とんでもない存在の拒絶を受けたことがるのだ…。

    あの親にしてこの子あり、だ。

    くそぅ。

    二代にわたって俺を辱めやがって、栃木家め!

    さて、お父さんの方にどんな拒絶をされたかは… 次回配信のメルマガをご覧ください。

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    ら〜らば〜い!

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    稽古場実況2

    kobayashi  2012年5月06日(日曜日) 16:48  
    稽古場実況2回目です。

    なんか、あんまり盛り上がらないので、もうこれでやらないかもしれないですね。

    でも、今日はやります。

    あるシーンの稽古をしていれば、そのシーンに出演していない人は、そのお芝居を観たりしています。

    この写真の人たちは、そんな人たちです。

    でも、カメラを向けると、こうやって、カメラを意識します。

    もっとちゃんと芝居を見てください。困ります。

    あれ、一番左端で、アホヅラで棒をかかげている、天才役者のYさんは、このシーン出演するみたいです。

    まったく、緊張感がありません。困ったものです。

    あ、Yさんが出てきた。

    以外にいい芝居してました。切り替えがうまいタイプです。

    他の人たちには、特に言及することはありません。

    いや、いい役者さんたちなのですが、今は、特に、ね。。。。。

    やっぱり、なんか、盛り上がりませんね、稽古場実況。どうしよう。

    今宵もこの辺にしとうございます。

    リンク元  (2729)

    稽古場実況

    kobayashi  2012年5月05日(土曜日) 20:08  
    稽古中です。

    う〜ん、基本的には作品というのは完成品を見せるもの、と思っているので、あんまり稽古の様子をお伝えするのは得意ではないのですが、珍しく頑張って、実況中継。

    シーン15の稽古中。

    彩生さんが変です。

    彩生さんの毛が生えてきた、と栃木が評価。彩生さん、大喜び。

    あ、彩生さんがまた、ステージ(と想定しているところ)に出てきました。

    なんか、シリアスな芝居をしています。でも、毛が生えたと指摘された喜びで、顔が緩んでます。

    でも、今回、彩生さんは今稽古しているシーンでかぶりものをします。

    だから、ムれて毛が抜けてしまうかもしれません。

    それに関するリスク管理もなく、本人喜んでます。

    あ、彩生さん、おもしろい! おもしろい!

    でも、その内容は、ネタバレになるので言えません。

    彩生さん、ほんとにおもしろいなあ〜。

    ……完全に、稽古場実況でなく、彩生さん実況でした。

    そして、この写真には彩生さんは写ってません。

    みなさん、さようなら。

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    あやまる

    kobayashi  2012年5月05日(土曜日) 18:00  
    最近、一時期に比べてブログ更新の頻度が減っている。

    よく、久しぶりにブログを更新すると「久しぶりですみません」的な挨拶から入る人がいる。
    いや、私もそういうことをしていたことがあるので、十分気持ちはわかる。

    が、謝る必要があるのか?と思う。

    そもそも、人はどういう時に謝るのか。

    ざっと考えてみると、一般的には概ね次の2パターンに集約されると思う。

    1 自分が他人の肉体や所有物に不慮の傷害、損傷、それに伴う痛みなどを与えた時
    2 他人が自分に明確に期待している言動を、履行しなかったことが明らかな時

    1 は電車の中で誰かの足を踏んでしまった、とかの場合。
    2 は約束の時間に遅刻した、とかの場合。

    例えば、1で「不慮」ではないパターン、友人同士で殴り合いのケンカになって(つまり、その時はある程度「故意」に相手に痛みを与えて)あとで、謝る、などのケースもあるにはあるが、これはイレギュラーと考えていい。

    そう考えていくと、一般的なものはこの2パターンしかない。

    で、「ブログ」のやつは、どちらに当てはまるのか?

    おそらく、謝る場合の想定としては2なのだろう。

    が、誰かが自分のブログ更新を期待している、というのは「明確」なものだろうか?と思ってしまうのだ。

    例えば、読者が日に1万人以上いるαブログなどのブロガーは、ブログ更新を期待されている、と考えていいのかもしれないが、それさえも明確ではない。
    1万人読者がいたって、1万人が別に「期待」はしていない、という可能性はある。

    具体的に、読者からのコメントに「期待してるんで早く更新してください」というコメントが入る、などのことがない限り「期待している」かどうか明確でないのだから謝る必要はない、と言える。

    いや、自分もやっていたので、あくまで自己批判も込めてだが、こういうのは「一見謙虚に見えて実は傲慢」という、日本人特有の言動のように思う。

    「傲慢」というと言葉が強いが、一種の「慇懃無礼」というか、なんというか…。

    本当にそう思っているなら、更新頻度を下げないように努力すればいいし、表向きは謝りながら「まあ、別に仕事ではないし、素人にそんな毎日とか無理だし」と思ってるなら、謝らなければいい。

    えっと、ちょっとしたことで、熱弁しすぎた気がしてきた。。。

    今宵はこの辺で。

    写真は猫ちゃんが謝ってるみたいな(謝ってるわけではないが)写真

    リンク元  (616)