[ ちゃんとやります! ]

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    「透明人間」公演を終えて

    kobayashi  2013年7月29日(月曜日) 23:44  
    昨日「透明人間」の公演が終了した。

    観にいらしていただいた皆様には、月並みな言葉しか言えなかったが、それらの言葉では伝えきれないくらいの感謝の気持ちであふれていた。

    改めて、本当にありがとうございました。

    お客様とお話して、いろいろご意見をいただいたが、概ね評判は良かったようだ。

    再度、本当にありがとうございました。

    さて、今回の作品は「感謝」というテーマを軸にしつつも、その土台として「兄弟」「家族」といったものを扱っていた。
    どうも、私は「家族」というのに特別の憧憬というか思い入れというか、そういうのがあるらしい。
    まあ、「らしい」というのは自分でもよくわかっていないからなのだが。

    そうした「家族の間での感謝」みたいなものを、お客様に感じてもらえば、私的には、よかったのだと思う。

    ところで、今回、私自身の「家族」にいろいろあって、私は公演の間中「仲間」に支えられた。

    支えられる中で「仲間」ってなんだろう、と考えもした。

    いろいろあるコミュニティーの中で、それこそ「家族」とか「恋愛関係」とかより、一般的には優先順位が低いように認識されつつも、しかし、絶対に必要なものとしての憧れがあるようにも思う。

    だいたい、仕事の関係者を「仲間」とはあまり言わないのではないだろうか? 「同僚」であり「上司」であり「先輩」であり「後輩」であり「部下」だろう。
    もちろん仕事場にも「仲間」はいるかもしれないが、おそらくあなたがその人を「仲間」と認めいている基準は、会社の基準とは全く違うもののはずだ。
    つまり、たまたまそこが仕事場だっただけで、「仕事」が「仲間」を作っているわけではない。

    そんな風に考えると「Eva」の仲間は、純粋に「仲間」だ。もともと、利害で集まっているわけでもないし、お給料ももらえない。血もつながっていない。
    「お芝居が好き」ということが、ぼんやりと皆をつなげているだけである。

    とにもかくにも、私はこの「仲間」達にいつも救われ、助けられ、良い作品を生み出せている。
    ということは、以前からよく言っているが、本当に今回は、プライベートの危機もだいぶ緩和してくれたので、いつにもまして「仲間の良さ」を感じた1週間だった。

    結局、「仲間とはいったいなんだろう」ということの答えは、まだ出ていない。

    わからないと、ついそれをテーマに作品を書きたくなる。

    次の作品は、もしかしたら、そんな「仲間」を題材にした作品かもしれない。

    もう、次の作品に向かって走り始めていること自体が、今回、観劇いただいたことへの最大の返礼になると思い込んで、感謝の言葉としたい。

    今回はご観劇いただきまして、本当にありがとうございました。

    また、次回も、ぜひ!


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    証明する

    kobayashi  2013年7月19日(金曜日) 23:12  
    やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない。

    書こう、と思っても、普段からネタを貯めているわけでもないから、ブログに適切なネタ、というのが意外と難しい。

    こう見えても、そういうことを考えて書いているわけである。

    特に、このEvaブログは、である。

    完全な個人のモノではないから「どこどこで○○食べておいしかった〜」で終わるのは、あまりふさわしくないと思っているし、
    一応主宰で作家だから、多少、「こいつが脚本書いてるんだよな」と思われてもいい、最低限のレベル、というのも、実は気にしている。

    そうして、いろいろ悩む。コレはあんまりまじめすぎるしな、固いヤツと思われても困るし。かといって、コレはなんか軽すぎるしな。
    じゃあ、コレで。あ、コレあんま興味ないから、書けそうにないわ…とか。

    今回は「公演前だし、とりあえず書かないとな」という動機で書こうと思ってるだけだから、もう、全然最初から何も決まってない。

    でも、書きだす。

    そうすると、この辺くらいまで、書ける。書いた。

    って、やってるうちになんか浮かぶだろうと思っている。まだ、思い浮かばない。

    もう2行くらい書いてみるか。

    えっと…。2行目。思い浮かばない。

    で、ここで、読み返す。

    うわ、ひでえ、なんだこれ!

    耳ほじりたいな〜。

    あ、やばい。現実逃避が始まってる。

    と、こんなノリでここまでは書ける。ブログならではの軽さだ。ブログ、万歳!

    でも、「やべえ、書かなきゃ、と思って書く記事ほど、おもしろくないものはない」でしょ?

    一つの事実を証明したところで、今宵はおしまいにしとうございます。

    ぜひ、観に来てください!(ムリヤリ)

    ※しかも、写真はなんの関係もありません

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    物語は等価に向こう側にある

    kobayashi  2013年7月16日(火曜日) 21:18  
    自分で書いたアホな話で、アホみたいな役で出演して、ただの出たがりのアホの、大食いだと思われていても困るので、いや、困らないのだが、一応主宰なので、困るとして言うけど、実は私は、大学時代ちゃんと演劇の勉強もしていたのである。
    演劇の授業の単位を取ったり、演劇の内容で、卒論とかも書いているのだ! エッヘン!

    卒論は、「竹内銃一郎」という劇作家についての研究論文だった。

    1970年代くらいから活躍し始め、今もほぼ現役の、劇作家・演出家だが、当時、私の一番好きな演劇人であった。

    竹内銃一郎の言葉で、私が一番好きなのは「物語は等価に向こう側にある」という言葉だ。
    「だから、役者は(スタッフも?)物語を自分の方に持ってこようとせずに、物語の方に歩み寄っていかなければならない」という文脈で語られていたと記憶している。

    この「等価に」というのが重要で、私なりの解釈だが「誰にとっても、同じように」という意味だと思う。

    例えば。「おばあちゃんが死んだ」という登場人物を演じることになったとして、「自分もおばあちゃんが死んだ経験があるから、わかるぞ」と思ってはいかん、ということなんだと思っている。

    物語である以上、それは絶対にこの世の原理で測れないもので、「その物語の中での『おばあちゃんが死んだ』という経験」は、決してこの世で経験できるものではない。
    その意味では「おばあちゃんが死んだ」経験のある役者も、そうでない役者も、さして、その物語との距離は大差ない。
    だから、自分の経験と単純比較して、簡単には考えてはいかん、と。

    ありえないものを創りださなければいけないわけである、我々、クリエイターは。

    そういう、強い意志を、この言葉に感じたのである。

    20年近く前。大学時代の話だ。

    それ以来、そういうつもりで、物語創作にあたっている。

    ただ、自己評価なので、定かではない。

    もし、お客様が見て、「ありえない何か」を感じてもらえれば、きっと、それは、そうなっている、ということなのだろう。

    今度の作品も、そう感じていただければ、至福の歓びなのだが。

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    大食いキャラ

    kobayashi  2013年7月13日(土曜日) 11:57  
    芝居とは関係ないが、最近、私の大食いキャラっぷりが浸透してる。

    会社で、毎週1回、福利厚生で弁当が支給されるのだが、誰かが急に休んで、1個余ると、自動的に私にあてがわれる。もちろん、2個分、普通に完食する。

    Evaも皆、付き合いは長いのだが、飲むことの方が多くて、「大食い」というイメージは最近までなかったようなのだが、昨年くらいに、皆で旅行に行ったとき、旅館の飯を5杯も6杯も7杯もおかわりする姿から、大食いキャラが定着した。

    まあ、たまたまそういう姿を見られているということがあるが、「年齢」ということもあるだろう。そんなにびっくりするような量を食べているわけではない。若ければ普通かもしれない。だが、自分が40歳なので、当然周りも若い人間は少ないわけだし、40歳にもなってたくさん食べるというのが、「大食い」感をさらに大きくしていると思う。

    しかも、どうも、うちの爺さんというのも、大食いだったらしい。やはり、40歳を超えて、家で飯を食ってから人に誘われて出かけ、外食で天丼を2杯食ったとか、そういう逸話がいくつかあるようだ。

    若いころは、「自分は食に興味がない」と思い込んでいた。私の若いころは、まだ、バブルのにおいが残っていて、「どこの店の何々がおいしい」とかそういう話題がファッショナブルに行われていて、そういうのにまったく興味がなかったからだ。
    だが興味がなかったのは、私が天邪鬼で、みんなが騒いでいるとそれに乗っかりたくない、というところがあったからのようだ。

    最近は「自分は食べるのが大好きみたいだ」と思っている。

    歳をとってから、結構、自分の本来の趣味嗜好がわかってきたりするらしい。





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