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    いろんな事情で ショウジョウジダイを終えて・・・その2

    kobayashi  2011年11月05日(土曜日) 02:50  
    ショウジョウジダイを終えてしばらくして、私はいつもどういうつもりで作品創作をしているのか、ということについて再認識することがあった。

    最近読んだ本に、こういうことが書いてあった。「もしあなたが、お金がいくらでも出てくる打出の小槌をもっていたら、何を目標に生きますか?」

    ふと、「『生きているだけでラッキーですよ』ということを、皆に伝えること」と思い浮かんだ。

    この本は人生の成功ノウハウを語る本で、「お金のことばかり考えているから成功しないのだ、本来の人生の目標を目指せば成功する」みたいなことを言いたくて上記の文章が出てくる。いやいやそんなに簡単ではないだろう、ずいぶん無責任な成功ノウハウ本だ、とも思うが、この質問は、自分がなぜ表現活動をやっているのか? ということを考えるきっかけになった。

    以前も何かで書いたが、小学生の時に5歳年上の私の兄が死んだ。兄は中学生になったばかりだった。兄はとても優しくて、争いを好まなかったし、弟を顎で使うようなことは一切なかった。変な表現だが、非常に「人格者」な子供だった印象が強い。兄がそんな人間だったので、私と兄の間ではっきりと競争が行われたことはない。しかし、私には相応のライバル心はあったようで、それが兄の死後に出てきた。

    以来、私のライバルは常に「死んだ人」である。

    私からすると、「死ぬ」というのは「勝ち逃げ」である。いや、死の直前に勝っていなくても、死ねばめったなことがない限り悪口は言われないし、悼まれ、慈しまれる。そう、「勝ち逃げ」でなく「逃げ勝ち」である。生きている方が絶対に大変で偉いのに、いつも死者ばかりが尊ばれる。そんなことに、小さい時から憤っていた。

    要するに私は生きている人には頑張ってほしいのである。
    と言っても、これは通常の慈愛や博愛と異なっている。生きている人に「生きていてよかった」と言ってもらわないと、私は結局兄に負けたことになる。私はそれが嫌なだけなのだ。

    目の前にいる人には、その時だけでも何としても楽しんでもらわないことには気が済まない。しかしそれは、目の前の人が楽しんで、「生きててよかった」と思ってるポイのを確認して、最終的に自分が安心するためである。

    非常にわがままな慈愛である。全く社会性がない。
    社会性はないが、とにかく目の前の人を楽しませることに関しては、人一倍の動機と探究心がある、ということだ。

    まあ、とにかくこんなだから、私は死ぬまで表現活動をやめないのでなはいか。「逃げ勝ちした死者」との勝負は自分が死ぬまで終わらないからだ。

    ということで、今後もたぶんずっと続けると思いますので、皆様よろしくお願いいします。

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