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    ストーリークリエイト雑感

    kobayashi  2011年12月13日(火曜日) 23:27  
    私の父は伝統芸能である能、狂言の研究者で、十数年前までは芸術祭の演劇部門の審査員とかをやったりしていた。
    古典芸能が専門でも、やはり演劇というジャンルでは、現代劇とも仕事上のつながりがあるようだ。

    そんな父の学者仲間で「せりふの時代」という現代演劇雑誌を定期購読している人がいて、「いらなくなったのだが、どこかもらってくれる人はないか」と言っていたらしい。で、父が気を利かせて、私のためにもらってくれることにしちゃって、大量の演劇雑誌が私の部屋に送られてきた。

    段ボール二箱分。若干引いた。

    しかし、まあ、演劇人としてはいい肥やしにはなるわけで、少しずつ、興味のあるところを拾い読みしている。

    大体、こういう専門誌、というのは、マニアしか食いつかないような内容の特集と、最新の作品(演劇雑誌の場合、脚本)が冒頭に載っていて、あとはマニアしか知らない業界有名クリエイターとか批評家のコラム、で、後半にまた作品が2、3個載っている、という構成になっている。演劇以外の専門誌でも、だいたい同じである。

    で、演劇なんぞは特に狭い世界で、演劇人として有名な人、などというのはほとんどは劇作家・演出家で、それも数はあんまりいないので、どういうことになるかというと、

    【例】(これは小林のイメージですが)
    目次1 特集「劇作の未来」 対談 劇作家兼演出家A VS 劇作家B
    目次2 『(一か月前位に上演された最新の台本1)』作:劇作家B
    目次3 第2特集「演出メソッドの教育」寄稿:劇作家兼演出家A・演出家C・劇作家兼演出家D
    目次4 コラム『○○○○』演出家C
    目次5 連載『劇作教室』劇作家兼演出家D
    目次5 『(一か月前位に上演された最新の台本2)』作:劇作家兼演出家D
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              ・

    わかるだろうか? 要するに300ページ余の雑誌でいろいろコンテンツはあるが、結局A,B、C,Dの4人で内容ができあがっている、ということだ。
    まあ、これは少し誇張して書いているが、概ねこんな感じである。

    ただ、マニア誌というのはたぶんどれもこんな感じで、演劇雑誌のこの点を否定したくて書いたのではない。むしろ、こういうのを面白いとさえ思っている。

    何が言いたかったかというと、こういう状態だと、同じ人間が、

    対談・コラム=「演劇に対する自分の意見」つまり「批評」



    脚本作品=「作品」

    とをほぼ同時期に、発表することになる。

    私がいくつか拾い読みをしていて最初に思ったことは、「この人、批評の時にはたいそうなこと言ってるけど、同時期に書いたはずのこの戯曲、たいして面白くないなあ」であった。

    最初はその程度の感覚であったので、「たいそうなこと言わなきゃいいのに」とか思っていたが、しばらく何冊も読み続けると、そういうことではない気がしてきた。

    そもそも、雑誌に登場している作家は軒並みそういう「たいそうなこと言ってるけど、脚本はさほどでもない」状態である。また、細かいことを言っていくと、少し前に彼が「今、こういうことが重要だと思っている」ということが、直後の戯曲にまったく反映されていない。などなど言い出したらきりがない。

    それで、気がついた。

    「創作」と「批評」というのは、そもそも統合されるはずのないものなのだ、ということだ。

    井筒監督とか、昔は大嫌いだったが、そういう観点で見ると、納得できる。
    嫌いだったころは「あんだけ人の映画こき下ろして、お前の作品そんなにおもしれえはずねえじゃんよ・・・」と思っていたが、たぶん井筒監督は人の作品を批評する時に、自分はその課題点を払拭した作品を作れる、とか、そこまで考えていないのである。いや、考えていたら、批評はできないのだ。

    すみません、井筒監督の話は書きたいから書いただけで、余計だったが・・・。

    根源的な能力、知識、ベクトルなどは創作者も批評家もほぼ同じと言える。しかし、やっている作業がまったく違うのである。

    批評はすでにあるのもを、分解し、演繹・帰納し、それに他の知識を付け加えたりして、何らかの結論を出す作業なのに対して、創作はそもそも何もないところから何かを作り出す作業だ。
    批評家が医者だとしたら、創作者は「生命を作り出す研究をしている人」くらい違う。

    だから、それらを一人の人間の中でうまく統合できないのは、仕方ないのだ。

    それって単なる開き直りでは?と言われればそれまでだが、なんというかなあ… 単純にそうとも言えない、と言うことを言いたいのだが、うまく説明できない。

    から、続く。

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