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    映画鑑賞2 デヴィッド・リンチ作品

    kobayashi  2012年1月09日(月曜日) 01:14  
    インランド・エンパイア という映画を見た。デヴィッド・リンチ監督作品で、「2007年度全米批評家協会賞 実験的映画賞受賞」作品である。



    あらすじを読んで、脚本執筆のインスピレーションを得られるかと思い、レンタルしたが、いやはや、すごすぎた。

    なんのことやらさっぱりわからなかった。ここに、あらすじを紹介することもできない。「すじ」がないのである。

    いくつかのファクターが積み重なり、それらを伏線として話を構築しているように見えたのも40分くらいまで。そのあとは、全部そのままである。しかも、全上映時間3時間! 2時間40分はやりっぱなし映像のオンパレードだ。
    一種のトリップ映像と思って見ていたが…。

    デヴィッド・リンチでなければ配給自体困難だったのではないか、と思っちゃうような。

    ただ、酷評する気もしない。ワカラナイのである、良いのか、悪いのかも。

    だから、この記事でも「この作品はこうこうこうで、これがすごかった」などと論ずることができない。そんなくらいだから、創作技術として特に得るものもなかった。

    但し、一つだけ、教訓を得た。

    創作者は自由でいいのだ、ということだ。

    その自由が許容されるのかされないのか、はその人のそれまでの実績によるだろう。しかし、実績のない人間は自由にやってはいけないわけでもない。

    創作で最も障害になるのは、規制である。「あれはダメ、これはダメ」というヤツ。一時期よく「『瞎(めくら)』は『目の不自由な人』と言い換えてください」みたいなのがあったが、あれがわかりやすい例だ。
    それをきっかけに筒井康孝は、一時期断筆した。創作者としては正しい反応といえる。とにかく、この辺がわかりやす「創作に対する規制」。

    で、もう少し考えを進めると「こうした方がいい」というのも、一種の規制である。「物語は『起承転結』となっているのがいい」これは一つの手法であり、作品をよりよく見せるための、創作の技術として取り入れるのはもちろん必要だ。
    しかし「『起承転結』でなければならない」と思ったら、その瞬間から規制になってしまうのである。

    過去作品の成功に縛られ、ついつい似たような作品を作ってしまう、というのも規制だろうし、お客様によい心象を持ってもらおうと、とりあえずギャグをちりばめる、なんてのも規制かもしれない。

    第3者に見せる作品である以上、すべて必要な技術ではある。しかし、縛られるセオリーであってはいけない。

    崇高な着想でないにしても、「こういうものを創りたい」と想いついた、その根源的な発想に忠実である限りは、作品はいくらでも自由に展開してよいのだ。創作者は巧みである以前に、自由な存在でなければならない。



    あれ? 「ねばならない」 規制になっちゃった。。。。


    そんなことを感じたのでした。

    でも、「インランド・エンパイア」は見ない方がいいですよ。とにかく、よくわかんないから。


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