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    役者に必要な説得力

    kobayashi  2012年1月29日(日曜日) 00:19  
    ウチの作家・演出家の一人である栃木と、私が執筆する次回公演の脚本の内容についていろいろと話していた。
    栃木はとにかく、べらぼうに映画を見ている。読書量もずいぶんだと思うが、映画はとにかく見ている。驚くのはその幅の広さだ。
    よく「映画を見ている」などというと、ヌーベルバーグだとかなんだとか、難しそうなツウ好みのをよく見ている、という意味に思われがちだ。実際、巷で「俺は映画を見ている」というヤツはたぶんそういうヤツだし、そういうやつに限ってハリウッド映画や普通の邦画などはバカにして見ていない、ということが多い。
    でも、それでは「よく(たくさん)見ている」とは言えないだろう、と私などは思ってしまう。そりゃ、かっこつけているだけだろう、と。

    しかし、栃木はちがう。本当に「よく(たくさん)」見ている。当然先述したような難しいのも見ているし、「え?そんなのも見たの?」みたいなショボイ邦画なども、ほぼ見ている。確認したことはないが、あれはたぶん『寅さん』や『釣りバカ日誌』も全部見ていると睨んでいる。
    まあ、とにかくそんな感じだから、少なくとも映画のことなら彼に訊くのが一番よろしい、と思っている。

    で、次回作をどうしようか、などという話をしていて、こんなの参考になるんじゃないの、と教えてくれた映画を3本見ることにしたのだが、それがたまたま、すべて堤真一が主演だった。

    堤真一の映像作品というのは、意識して観たことがなかった。

    中々いい役者さんだな、と思った。

    その基準は「いそう」感である。

    「いそう」感とは私が勝手にそう読んでいるもので、「位相」とか「異相」とか、そんな難しい話ではなく、「ああ、こういう人いそう」の「いそう」感だ。

    これは「リアリティ」という意味ではない。

    役者というのは、映像であれ芝居であれ、本来、この地上に存在しない人を演じる。どんなにリアルな設定の物語でも、根本は創作である。そしてその創作による非日常性が大きければ大きいほど、物語全体としてはおもしろいはずである。

    その意味では、物語は絶対にリアルであってはいけない。

    一方で役者は常に観客と直接に接するポジションであり、作品を成功に導くためには、ある程度自分のキャラクターに「共感」してもらう必要がある。

    そうすると、観客が受け入れられる程度の日常性を持ってキャラクターの外面を作る、という作業はどうしても必要になる。

    でも、ただのリアルなキャラクターになってしまったら、物語の非日常性という面白味が失われる。

    つまり、役者にとって重要な作業の一つは、この「ありえない物語上のありえないキャラクターを、見る人間が共感できる程度にまでは、ありえるもののように装丁する」という技術なのだ。

    しかし、一般の人はもとより、役者を志す人でも「キャラクターはリアルであればあるほどいい」と思っている人がいるが、これは完全に勘違いである。
    役者が作るキャラクターは「リアルではダメ」なのだ。
    なぜなら、同じ話になるが、物語そのものはどう転んでも創作、フィクションだからである。そこに存在するキャラクターだけが極端にリアルであれば、絶対に物語との齟齬が生じる。

    この作業を成功させる肝は、リアルなものの観察力とコピー力ではない。役者としての想像力である。これが結構忘れられがちである。

    この作業を的確にこなし、「いそう」感を観客に与える力が、役者の「説得力」だと思う。

    堤真一は、キチンとそういう能力はあるなと。

    エラそうですが、そんなことを思ったのでした。

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